重い物を動かすときに「よいしょ」という掛け声が必要になる。「さて」「では」「そろそろ」という言葉が心や体を動かすときの掛け声となる。掛け声は決意であり勢いを生み出す呪文。人は思いがないと動けない。動くために思いに力を込める。動き出せばあとは勢いに任せて楽しめばいい。働きに任せる。
物理学者がいうように、 「仕事=モノを変化させる働き」だとしたら、 究極的な仕事人は〈破壊神と創造神〉だ。 現代ではこれを〈大天災と都市開発〉と言い換えても良い。 破壊と創造を促す仕事という意味では、 芸術家、アーティスト、文芸家がそうだ。 異常性という意味では、精神疾患は強い。
祈り感謝して働く。これこそが地上において人のあるべき姿なのかもしれないが、感謝することのなんと難しいことか。人生においては深刻な疑義や呪詛の思いが心に生まれることも度々だろう。その時の「何故こうなのですか」という訴えこそ、神に語るべきことだろう。人はそれに応える術をもたない。
私が人を殺さぬのも、一片の優しさや卑しさをもっているのも、全てそう定められているからに過ぎない。宇宙の摂理に添われて、私という認識と人格とされるものが信じられるようになった。それは我であって我ではないが、よく生きたいと願う。地上では、ひたすら祈り感謝して働けば善い。
絶えず神助を祈りつつ働く。人の運命は地上においてはそのように定められている。我執にとらわれた人にとって、地上は理不尽の園であり、神助なしにいかにして生きていけるだろうか。また何も築かずただ祈るだけで人生を充実させることができるだろうか。今日も祈り、そして働きたい。