満足死という生き方が最高だ
誰もが寝たきりに「なりたくない」と思っているはずです。だからピンピンコロリが良いと言いたくなる一番の理由かもしれません。死ぬということは、このようなイチかゼロかのような、両極端な話ではありません。人それぞれの人生があるように、最期もまたいろんな終わり方があるはずです。
最期を迎えた時に「自分の人生は満足できた」「いい人生だった」と感じながら息絶えることができれば、それだけでいいと思います。その瞬間、側で愛する人が見守ってくれていたら、きっと最高の最期なのでしょう。
恥ずかしながら、「満足死」という言葉を今日初めて知りました。私はこの言葉に賛同します。満足死を迎えるよう努力していきたいと考えます。
尊厳死ではなく満足死を目指すべきだと訴えたのは、疋田善平(ひきた。よしひら)さんで、高知県佐賀町の小さな診療所で医師をされていました。
住民から「死ぬまで元気でいて、死ぬ時はぽっくり逝きたい」と言われたそうです。もし寝たきりになっても、一ヶ月以上は家族の看護は大変だから、一週間以内に逝くのが理想だと言われました。医師は、それを満足死と名付け、実現化するため思案しました。
これは疋田先生の言葉です。最期の言葉が印象的です。そのため、住民には「死ぬまで働きなさい」と言い続けたそうです。働くというのは、筋肉を動かせという意味です。
今回この現代ビジネスの記事を読んで大きく感銘を受けました。記事にはまだ続きがありますが、今日はここまでにしておきます。いま私の頭の中では「満足死」という言葉がぐるぐる回っています。これまでの考えと合わせて整理します。
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