「私が嫌なことが起こると思うときは、だいたい当たるんです」 「それは、あなたが自分の予感は正しいと信じているからだ」 「私の予感に間違いありません」 「その信念によって予感は当たるのではなく、予感が実現するように脳が行動を制限する」 自分にとって都合の良い未来を想像し信じよう
私は人に好かれたくて書いてるわけじゃない。かといって嫌われたくて書いてるわけじゃない。私を嫌いだと思ってる方々が、私を嫌いだという意思表示を様々な形でアクションに起こしてる様子を立て続けに見てしまった。闘病と介護で心身病んだ私を救ってくれたのはnoteだったからこそ、悲しかった。
松下幸之助は経営の神様と言われるパナソニックの創業者 経営の神様は、病弱だったおかげで人を動かす仕組みができたと話していた 人の気持ちになれるとは、相手の立場になって共感できること 人は自分をわかってくれている人のためなら、頑張ろうと思える 知っているのとできているのは大違いだ
書くという行為は楽しいけれど、今の私は思考が暗いのか?ご心配をおかけするような内容しか書けなくなってきている感じがします。元から精神的に闇(病み)を抱えているのか、闘病と介護の疲労がもたらしたものなのかわかりませんが、書くことを休むか書きまくるか何かしらの療法が必要な気がします。
今の私の課題は気にしないようにすることだ。ずっと気にして生きてきた。まるで思考することが趣味のように。しかしそれは弊害に近い。気にする、思考する、度を過ぎていたのか?今はそれを闘病や介護のせいにしているが、私は常に何かを気にして思考しすぎて生きてきたのだろう。病気レベルだな。