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義母は今日も絶好調で「察知してください」と笑った
義母に名前を呼ばれなくなって久しい。
顔を合わせると「あら!」とうれしそうにニコニコしてくれる。「仕事はお忙しい?」と聞かれたりもする。「今日も来てくださってありがとう」と言うけれど、いつの頃からか名前は呼ばれなくなった。
「まなみです!」と名乗ったりもするけれど、ウフフと笑ってはぐらかされる。夫のことはたまにわかっているような雰囲気もあるし、名前を呼んだりすることもある。でも、なんとなく、わかってるふりっぽいなと感じる機会も増えた。
「誰だと思う?」とは聞かないし、試さない。それは義父母が認知症だと診断されたときから、夫婦間でなんとはなしに決めたことのひとつ。それは今も変わらない。
たまに、もの忘れ外来の先生が聞くぐらい。今日の往診のときも、そんなやりとりがあった。
「ご家族が来てくれてうれしいですね」
そう言われて、義母はふんわり笑った。重ねて先生が言う。
「こちらはどなたですか。どういうご関係ですか?」
夫が義母の正面に回って、マスクをはずす。義母はじっと見つめた後、こう答えた。
「わりと鼻が高いですね」
夫も私も大笑い。先生も吹き出しながら、ご自分の鼻を指さし、「鼻が高いんですか? それとも精神的に『鼻が高い』ということでしょうか」と尋ねる。すると義母はニコニコしながら言った。
「今までのお話のしかたで察知してください」
わはははははは。察知しましょうとも!
「食事はおいしいですか」と聞かれると、「ふつうのごはんですね」と澄まして答える義母。「ろくなものがでないということですか?」と冗談まじりに先生が質問すると、「そんなことはないですね」。でも、「それなりにおいしいということですか」と聞かれると、「味の傾向にもいろいろありますからね」と答えてみたり。
ふわふわと答えにならない答えが飛び出すタイミングもあるけれど、そうかと思うと「先生のお住まいはどちらなんですか?」と、パチッと照準が合う瞬間もある。
しゃべっている間も歯ぎしりが強くなっていたり、気になるところはなくはないけれど、それでも明るく朗らかに過ごしてくれてる様子がうかがえるのがありがたい。
90歳を超えてもなお、入れ歯は一本もなく、全部じぶんの歯。「この年になって歯ぎしりがある方というのも珍しいんですよ。そこまでたくさん歯が残っていませんから」と先生に言われるほど。
名前が出てこないなんて悲しい、ではなく、機嫌よく過ごしていることはうれしい。そんな風に、夫とは言い合ってる。言い合うようにしている。
今日も義母は絶好調。Googleフォトには義母の写真と動画がまた増えていく。