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#野球
なぜ?諦めてしまうのだろう?モデル#4
素敵な手の平昨日AM1:00
どうでもいい情報ですが、ライブ配信見ていたら会社遅刻しました。( ´∀` )
それでは本題に入ろう。
本田宗一郎翁の言葉本田宗一郎翁が、海外の工場の現場を視察に行かれた時、ワーカーの油まみれの手を握り『素敵な手だね』『働き者の手の平だね』と言われ、ワーカーが号泣したとというエピソードを聞いた。
今のご時世、こんな社長はあまりいないだろう。多分。
僕の勝手な認
SLAM DUNK#4
断固たる決意
オヤジ・・・やっとできたぜ。オヤジの言っていたのが・・・・やっと・・・・ダンコたる決意ってのができたよ。
山王工業高校戦2回戦・・・残り1分71対76点差の熱戦が繰り広げられていた。
その時、桜木花道はプレー中に背中を痛めてしまい、安西先生も交代を考えていただろう。
そして、結局、交代を指示した。
ところが、桜木花道はプレーの続行が選手生命を脅かすかもしれない、というマネー
SLAM DUNK#3
翁もう、書くまでもないほど、マンガの世界で有名な『翁』といえば『安西先生』だろう。
・・・・・・・はい。END
と締めたいところだが、諦めたら、そこで試合終了なので記事を書くとするとしよう。
ビジネスの分野にも言えることだが、指導者、コンサルタント、年長者らの存在はかなり大きい。
個人に対しても業績に対してもである。
業績という数値で見えるのでなおさらである。
結果が出るまで時間がでる
ベースボールクラブの思い出そのⅧ
指導者スポーツの分野にも言える事だと思うのだが、指導者から受ける影響が大きい。
もちろん、個人的な努力は必要である。
努力が必要であるとしても効率よく限られた時間を使いたいものである。
自分の経験・体験から高校時代まで時を遡ってみよう。
高校時代かなり、指導熱心なコーチと監督だった。
あまり、教師の勤務体制は理解していないが、土日とかのクラブ指導などボランティアではないだろうか?
自分
ベースボールクラブの思い出 その陸
geto in Zone時間を遡るとしよう。
約15年くらいまで。
zoneとは一般的に、極限の集中状態を差し、スポーツの分野等において驚くべきパフォーマンスを生み出す状態だといわれてている。
そういう思い出もあったものである。
県大会出場を賭けた大会であった。
市の大会で優勝したので2回勝利すれば、県大会まで行ける大会であった。
県大会出場を賭けた1回戦1回の攻撃で僕に打順が回ってき
ベースボールクラブの思い出 その肆
最初に兵庫県でも社会人になって野球をしていた時期があった。
三洋電機の軟式野球部が有名であった時代である。
対戦したことはなかったが、試合をよく観にいったものである。
目的はトップレベルのプレーを観たかった。
今もたまに、兵庫県軟式野球連盟の情報を仕入れている。
3級だが、OFFICAL UMPIREの資格を保持している。
2020年に入り、今はまだ活動できていないのだが、下期に向けて
ベースボールクラブの思い出 その弐
初めての社会人野球高校は推薦で入学できたものの、進学はあまり考えていなかった人である。
いわゆる『就職氷河期』と言われる時代に就職した。
とりあえず、野球部がある会社に入社したかった。
その思いもかない『野球部』のある会社に入社した。
もちろん、野球部に入った。
僕が務めていた会社の野球部は『兵庫県軟式野球連盟』に加入していた。
なので、国体や高松宮賜杯、天皇杯など勝ち上がれば全国に行
私は野球を応援します。
#応援したいスポーツ
野球との出会い最初の野球との出会いは小学4年生でした。当時は全くスポーツに興味がなかったのですが、身体が弱かったこともあり親のすすめで始めました。
左投げ右打ちが私のスタートでした。しかもポジションサード(笑い)人数が少なかったのでレギュラーになりました。ショートも左(笑い)いまから考えると非常識なスタートでした。
中学生になり野球に転機が訪れました中学時代も学校のクラ