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“当たり前”が壊されたとき、はじめて自由になれる

自分が生まれ育った環境は、良くも悪くも自分の性格だったり、価値観に大きく影響しているものだと思うんです。

けれど、そのこと自体、そこに居続ける限りは知る術を持たず、一歩外に出てはじめて、家族以外の他者と関わっていくなかで、だんだんと自分の中の“当たり前”が揺らぐ瞬間に出会ったりするんだと思うのです。

私の場合で見てみると、私には心配性で怒りっぽいけどすごく優しい父と、自分を強く持っていて、喜怒哀楽がしっかりしてるけど、子供に一生懸命な母の下で育ちました。そんな私は特に、すごく心配性に育ちました。

けれど、そんな私も一歩外へ踏み出すと、私とは全く違う環境の中で、両親の下で生まれ育った友達や恋人と出会います。

そんな人たちとの関わりの中で、自分を生きづらくさせてしまうような“当たり前”なら尚更、“当たり前”にする必要は無くて、その“当たり前”は決して世の中的な“当たり前”ではなく、数ある中の一つの“当たり前”に過ぎないんだということがだんだんと分かるようになったんです。

もちろん、だからと言って、すぐに心配性の私が楽観的になれるかと言われれば、そんなことはないのですが、世の中には楽観的な人もいれば、心配性の人もいて、心配性と楽観的な割合が半々くらいの人もいて、その数ある中の一つとして、自分には心配性という特性があるんだということに気付けるようになったんですよね。

これは、他者と自分とを相対的に見て、様々な人がいて成り立っている社会という中の一人として、自分自身を客観的に見られるようになったからだと感じています。

なので、その意味で社会というのは、自分という人間を理解するにはすごく最適な場だったりするのかもしれません。(辛く理不尽なことも多い社会でもあるとは思うのですが^^;)

また、もうひとつお話しすると、私の中の当たり前がより壊されたことがあって、それは彼との出会いでした。

彼と私は、根本的な価値観は似ているものがありますが、性格はほぼ真逆かもしれません。彼はとにかく楽観的で、なんとかなる精神の持ち主です。それでいて、とてものんびりしています。

なので、一緒に何かをやるとき、特にスピード感や緊張感が必要になってくる場面では、そんな彼を見ていると正直イライラしてきてしまう時もあります。笑
とは言え、実際本当になんとかなってしまうことがほとんどなので、それに助けられている部分も多かったりするのかもしれません。

付き合った当初は、私の心配性の特性が全面に出されていたと思うのですが、そんな彼と長い時間を過ごしていくと、その心配性の特性を維持していくことが逆に難しくなったりするんです。

嫌でも鋭く尖っていた心配性の部分が丸くなると言うか、相手のなんとかなる精神に乗っかってみなきゃいけないタイミングも来たり、そこではじめて実際になんとかなってしまった経験をしていくんですよね。

そうすると、気付きはじめてくるんです。彼のような楽観的な選択をしても、たとえそれが心配性の私なら決して選ばないものだとしても、正解になるんだということです。

それは、ある意味で自分の当たり前が全く通用しなくなった瞬間でもありますし、そもそも初めから通用させる必要すら無かったのかもしれません。そんな気づきの瞬間でもありました。

自分は心配性という特性を持った親に育てられていたから、その心配性的な選択が正しいと思い込んでしまっていたけど、決してそれが全てではないということだったんですよね。

またそれは、親と自分をそれぞれ別の存在として、切り離して見れるようになったはじめての瞬間でもあったと思います。

もちろん、だからと言って、心配性が悪くて、楽観的が良いとも思っていません。
心配性に育ったおかげで、たくさん準備が出来るようになったので、その意味では心配性で良かったと思うこともあります。
実際、彼も楽観的なところは良いのですが、どうしても無計画なところもあって、それで今、正直苦労しちゃっていることもあります。笑
なので、どちらが良い、悪いというのは無いのですが、親と彼との間に、心配性にも楽観的にもどちらにも振れる自分が立っている。
そんな感覚が芽生え始めたのは、他者の中でも一番近い距離にいる彼と関わっていく中で得た大きな変化だと感じています。

もちろん今でも、私には心配性の特性はあると思いますが、それは生まれ育った環境によって、否応なく与えられたものというよりかは、そこに新たに自分の意思が介在できるようになったというか、あくまでも最終的な選択の決定権は自分の手の中にあるんだという感覚も持てるようになった気がしますね。

このように、内と外とを行き来していく中で、その狭間で、他の誰でもない私という存在として、フラットな自分でいられることに、より自由を感じれたりします。

なので、内から外へ一歩踏み出してみて、色々な人やもの、経験の中に自分を放り込んでみて、その中で改めて自分という存在に気づいてみるというのは、すごく大切なことのように感じますね。

りん

(今日から12月ですね…!忙しなくなりがちですが、変わらず焦らず過ごしていきたいです😌)

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りん【強迫性障害(精神疾患)/不登校を乗り越えたひと】
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