『世間の常識を飛び越えて生きる』 スタエフにて、発信しております。 今まで 小さい金魚鉢の中で 暮らしておりましたが、 ある日 息苦しさを感じて 金魚鉢から 飛びだし 自由になったのです しかも、還暦過ぎて… こんなお話しです。 https://stand.fm/episodes/6732a551fdb3580b0ed027d3
緊張不要の気付きの後、睡眠が戻ってきた様子。 もう今は不要なモノ(価値観とか癖とか)をひとつずつ脱ぎ捨てて、ちょうど良い自分になっていこう。 自分を満たすことが、子どもらの支援に繋がるように思う。
若い頃、有能で効率的な人間が価値が高いと考えていた。 働いてみて自分がちっともそうではないと分かってガッカリした。じゃあどうやって生きて行けばいいんだ? 能力と効率を経験と思考で積み重ね試行錯誤の先にあったのが子どもらの不登校で、また「生きるとは?」みたいな図になったんだ。
自分の過去を、中を、掘り下げていて気が付いたことがある。 私の身体のマイナートラブルのほとんどが「緊張」=無意識に身体を常に固めていることから来ていて、それは生まれる前からの環境で培われたものだ。 その環境の全てが違っている今、一切不要のものだ。 私は「最高に善い子」だったのだ。
きみの「正当」は、きみにしか見つけられないし、大事にできない。 大人になるというのは、その正当を見つめながら大事にしながら日常の日々を重ねつつも、16歳のきみに健やかな心持ちで、そのことを説明してやれる、ことなんじゃないんだろうか? きみを裏切らずに生き続けるやり方は、必ずある。