拙稿『形而上学』は、永井 均氏の助言に従って「中高生ぐらい(まあまあ頭はよいけど知識はまったく何もない)を読者に想定して」(永井氏の言葉)リライトしていくことになります。かなり大変な仕事になりますが、これかはやって来る艱難の時代を前向きにサバイブしてやり遂げようと思います。
時空の直観を議論の前提にしながら殆どの哲学者/哲学研究者がそれに無自覚なのは驚きです。最先端物理学(量子重力理論)では時空を理論の背景/前提にできるかどうかが究極の問題になっているのと際立って対照的です。多分殆どの哲学研究者はこれの意味することを理解すること自体難しいと思います。
拙稿『形而上学』のサブタイトルを「この私が今ここにあること」に改訂しました。『序論』「Epigraph」の第二次リライト版(たぶん最終稿に近い)執筆作業を先ほど完了したところです。
現在『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』 の「上巻」「EpilogueⅠ――<私>は<0>と《私》/《1》の<狭間>で不断に振動している」のプロローグ的記述を完了。
純粋理性批判の『空間について』を読んでいた。 空間とは経験以前に本質的に備わった人間の直観(直ちに理解できる感覚)だと言う。なるほど。 ではその直観する能力に個人差があるように見えるのはなぜだろう。目の見えない方は事物をどう直観しているのだろう。 謎が謎を呼ぶが、興味深い論題だ。