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理性の二枚舌 | ゲーデルの不完全性定理及びカントのアンチノミー
ゲーデルの不完全性定理。
学生時代に理系の友人がよく話していた。私はちゃんとした数学的な証明を理解したわけではない。
当時その友人が言っていたのは、「数学の無矛盾性は数学では証明できない」ということ。
以下、通俗的な私なりの解釈を記す。
たとえば、「この文は間違っている」という命題があるとする。このとき、「この文」は正しいか(真か)、正しくないか(偽か)のいずれかである。
この文が「正しくない」とすれば、「この文は正しい」ことを言っていることになる。
この文が「正しい」とすれば、「この文は間違っている」ことを言っていることになる。
真だとしても、偽だとしても、いずれの場合も矛盾が生じることになるだろう。
ゲーデルの不完全性定理と関係があるのかどうか知らないが、「不完全性定理」はカントが『純粋理性批判』で挙げたアンチノミーの話に似ている、と私は思う。
たとえば、モノを細かく分割していったとき、「これ以上分割できない物質がある」と考えたとしても、「これ以上分割できない物質がない」と考えたとしても、いずれにせよ、矛盾に突き当たることになる。
同様に「宇宙の果てがある」と考えたとしても、「宇宙には果てがない」と考えたとしても矛盾に突き当たる。
「時間には始まりがある」と想定しても、「時間には始まりがない」と想定しても、やはり矛盾に突き当たる。
純粋理性のアンチノミーとは、このようなものである。
私たちはふだん、何事においても、「理性」にしたがって考察すれば、正しいか正しくないかということに結論を得ることができると考えている。
しかし、理性というものがその本質的なところに矛盾を抱えているとしたら?
理性というものの本性は「二枚舌」なのかもしれない。だとすれば、どんなに理性的に考えても、理性だけではとらえられないことがあったとしても、何ら不思議なことではない。
理性が本質的に二枚舌であるならば、理性という拠り所は頼りない不安定ものだと言える。だから、人間は「理性の要請」によって、究極的なものを欲する。「信念」と呼ぼうが「神」と言おうが、いずれにせよ。。。
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