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坂戸日記 2024.07.14

2024年7月14日(日)終日、小ぬか雨。やっと梅雨らしい雨になった。

午前中は市民プールでクロールの自主練。日曜日はいつも混んでいるが、明日が海の日ということもあるのか、いつもにも増してプールは混んでいた。ひとつのレーンに5人ほどが泳いでいると、休みながら泳ぐことが難しくなる。まだゆっくり長く泳ぐことができないので、そうするとだんだんとがむしゃら泳ぎになり、さらに疲れてしまった。結局、「今日は2時間泳ごう」と思っていたのに、早々に撤収。明日も混みそうだということだった。

帰宅後、カズオ・イシグロの短編集『夜想曲集』の続きを読み、読了。5つの短編それぞれは「何がどう」というほどのことは起こらない。けれども読み終えたときに不思議な満足感に包まれているような気持ちになるのはなぜだろう。長編とはまた違った趣きで面白かった。

注文していた渡辺悠樹『解析力学』が届く。物理の本を買うのは本当に久しぶりだ。解析力学は、大学の1年生のときの自主ゼミでGoldsteinの『Classical Mechanics』を読んで、なんて面白いのだろうと感動した。もう物理を使うことはないが、今回届いた本もちょっと楽しみだ。ゆっくり読もう。

夕方からはカント『純粋理性批判』の読書会。全6回の5回目が終了した。800ページを超える本も残すところ125ページだ。読書会のあとに懇親会で、ここまで読んできて、改めて「カントを読む意味は何か」や「読んできたことで何が変わったか」などの話をした。苦労しながら読みすすめてきたので、同じ苦労を分かち合いながら進んできたという共感もあり、読書会そのもの以上に楽しかった。なぜ読んでいるかも、何が変わったかも、一人ひとりが違い、それも「内容がわからない」本を読む体験の面白さだと感じた。内容そのもの以上に、体験や想いが異なっている。

私についていえば、カントの『純粋理性批判』を読みすすめることにより、《わからないことへの耐性》が増えた気がする。ある意味、わかることへのこだわりから離れられた。「それで読んでいることになるのか」と問われそうだが、そういう読書もあるのかなと思う。しかも、他の本を読むと「なんてわかりやすいんだ」「なんて親切なんだ」と感動するほどだ。「わからない本を読み続ける」という体験は、もしかしたら新たな読書体験なのかもしれない。それは別に「苦痛を楽しむ」というような意味ではなく、「わからないことがあってもいいんだ」というひとつの境地ともいえるし、それでも一生懸命に語り続けるイマヌエル君への《共感》かもしれない。

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