菅田波作(すげたなみさく)
教育とは、学びの重要性、教養を得るためのマガジンです。このマガジンに遊学に来た誰かが読んで、学びや発見のある教材となれば幸いです。
未分類の投稿をまとめました。
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哲学の入門書的なエッセイ、散文、随筆 哲学初学者にはぜひ、1から読んでいただきたい
社会問題や話題の時事ネタについての記事をとりあげていきます。ざっくばらんに書いていきますので、世界で起きていることについてお互いに理解を深めていきましょう。
はじめに 最近、図書館を利用したのはいつですか? 数年、あるいは数十年図書館を利用していない社会人の方も多いのではないでしょうか。 「本なんて読まないから」 こういう人も少なくないと思います。 私自身も小学校~高校の図書館を利用する機会はほとんどありませんでした。 図書館を利用するようになったのは、大学に入学した以降の話です。 充実した大学図書館というものは大学生が読みたいものは大抵揃っています。大学図書館というのは比較的遅い時間まで営業している場合が多く、閲覧デスク
本日21:30頃、巣鴨のサイゼリヤにて。 70代後半くらいの女性が上下ジャージ姿でMacBook Air、shureの有線イヤホン、Apple純正マウスというフル装備でお茶していた。ミスマッチというのは失礼かもしれないが、ガジェット好きとして、人間の姿勢として嫉妬を覚えました。
ダ・ヴィンチの経験論(手記を読んで) 「経験は決して間違うことはないが、判断だけが間違う」 直接観察と実証を繰り返し、自らの目で見て確かめることを重視した。 近代科学の方法論の先駆けともいえる姿勢、芸術と科学を分けず、観察による知と創造的表現を見事に統合した彼には敬服しかない。
名翻訳家 西 周「西 周」と書いて”にし あまね”と読みます。 中国の古代王朝ではありません。 端的に何をした人かと問われれば、彼の生前の肩書はたくさんありましたが、一般的な紹介でいえば啓蒙思想家になるのでしょうか。 私は西周の最大の功績は、"philosophia"を理解し、日本に持ち帰り、広めたことでしょうか。 そこで彼は当時の日本にはなかった概念"philosophia"を「哲学」と翻訳しました。 哲学散文2でも触れましたが、 上記の概念を「哲学」と名付けた
井上円了の妖怪学はリベラルアーツの重要性を説いていて、彼自身の興味関心や趣味が当時の世にマッチした教育の例だと考えています。こんど詳しく書こうと思います。
足りないのはアウトプットではなく、圧倒的にインプットだと思っています。 なので、毎日何かしらインプットするようにしています。
NHKの朝ドラ、連続テレビ小説の「おむすび」を観ています。橋本環奈さんが好きなのと単純におにぎりが好きなだけという。なんとも安直な理由ですが、観ています。観てる方はわかると思いますが、やっとおもしろくなってきました。明日からさらに楽しみが増えそうです。橋本環奈さんに期待!
椿屋珈琲が好きで、よく利用しています。東京駅八重洲口を出てすぐの、椿屋珈琲 八重洲茶寮に初めて来たのですが、前後左右お見合いされている方で異様な空間です。私もかつて、結婚相談所に登録した時のことを思い出しました。※結局、私は未婚です。
ヘーゲルとベートーヴェン 弁証法とソナタ 彼らにこんなにも共通点があったとは……。 きょうも日々、勉強です。
執筆活動の継続には、モチベーションの維持が不可欠だと言われています。しかし、その維持は容易ではありません。そこで、より確実な方法として、モチベーションの先にある習慣化を目指したいと考えています。 感覚としては歯磨きや入浴、洗濯と同じレベルにまでしていきたいです。
明治期の教育革命家 福沢諭吉 福沢諭吉(1835-1901)について、どんなイメージを持っていますか? 私なんかもそうですが、「THE 一万円札の人」といったイメージが強いです。 ほかには、 「慶應義塾大学の創立者」 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり」 と言った人 いかがでしょうか。 福沢諭吉については、日本人で知らないものはいないほど超有名人物であり、私が紹介するまでもないと思っています。 しかし、この「哲学散文」において、とりわけ日本の近代
他人をコントロールできないことを心配するより、自分の感情をコントロールすることに集中した方がいい。 ストア派という哲学の考え方です。
MBTI診断をどうしてもやれと友人に言われたので実行。 INTP-A(論理学者)だそうです......。 何かしらの統計を基に作成されたのでしょうが、全人類を16の型にハメるのはナンセンスです。他人を知った気になっているだけです。 今度、記事で他者理解について哲学してみましょう。
私の記事の画像について 全記事、自主制作です。 主にAdobeのPhotoshopやIllustratorを駆使してデザインしています。 執筆と同じくらい時間かけて制作しています。 画像は前の記事のボツ案です。寝かせておくのは悲しいので、載せて供養しておきます。
はじめにこれまでの哲学散文では西洋哲学と東洋思想を中心に見てきました。 ここまできてようやく日本に入ります。 私もようやく日本に入れる・・・と どこか感慨深げであります。 私自身の本来の専門というか得意分野はやはり日本思想 とりわけ日本近代哲学(明治期以降)になります。 そこに早くいきたいがために神話から江戸時代までを1記事にまとめることどうかお許しください。 本来であれば古事記から聖徳太子、日本仏教の各宗派の開祖、それから武士道を細かく見ていきたいのですが、いかんせん
教養がある人とはあなたが思う教養のある人とはどんな人ですか? ・知識が豊富な人 ・クイズ番組で全問正解で優勝をする人 ・海外の大学へ留学している人 ・一流大学に進学している人 など 日本人が思う教養があると思われる人たちに対して さまざまなイメージがあると思います。 しかし、どれも正解に近いようで間違いです。 知識が豊富な人もクイズ番組で優勝する人にも教養がある人はいますし、ない人もいるでしょう。 それはどういったことか。 なぜ日本人の教養=知識量という勘違いが