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哲学書のすすめ。カント『純粋理性批判』

私は1998年、大学の哲学科に入った。
孤独な青年で、友達作りが上手くできなかった。
私の友は書物だった。
孤独ではあるが出会えた本のうち、読んでよかったと心から思う物がいくつもある。その中から、今回はカントの『純粋理性批判』をお勧めしたい。
ただ、内容を紹介するというよりは私がその本を読んだときの感動が伝われば良いと思っている。
この本は私が哲学科に入学して、初めて買った哲学書であると思う。
本屋で岩波文庫三巻をまとめて買った。
一人暮らしのアパートへ帰るとさっそく読み始めた。
いきなり、「ア・プリオリ」などという聞き慣れない言葉がたくさんでてきた。
この言葉を理解できなければ話にならんだろうと思い、よく読んだ。「先験的」と訳されてあったので、それで理解できた。
他にも「物自体」とか「二律背反(アンチノミー)」など興味深い言葉が現れた。
かなり難しい内容だった。それでもわからないところは読み飛ばしたり、また読み直したりして、理解を深めていった。
私は未だ、この本をすべて理解したとは言えないと思う。
しかし、あの若いときの感動は読んでよかったと思うのでまだ読んでいない、特に若い人にお勧めしたい。
なぜなら、映画などで「感情が」感動することはあるが、哲学書を読んで「理性が」感動するという経験をした人は少ないだろうと思うからである。
私は、この本のクライマックスというか、カントが一番言いたかったと思われる、「コペルニクス的転回」がわかったとき、生まれて初めて理性が感動した。この宇宙の認識が変わるほどの大転回であった。
ときどき、「コペルニクス的転回でした」などと、単に「眼から鱗」みたいな意味で使う人がいるが、もし、カントの言う「コペルニクス的転回」の意味を知っていたら、単に「眼から鱗」という意味で安易に使わないだろうと思う。たしかにあれを読んだとき、「眼から鱗」ではあったが、宇宙の認識が変わるほどの体験だったので、「眼から鱗」の別表現として使うにはあまりに大きすぎる体験だった。
そう、あれは「理性の体験」なのだ。
初めてスノーボードをやるのも初体験だし、初めて海に潜るのも初体験だ。
しかし、カントの『純粋理性批判』を読んで理性が大興奮するのも貴重な初体験だと思う。特に若い人はぜひ、カントの『純粋理性批判』を読んで理性の「コペルニクス的転回」を体験して欲しい。絶対に無駄にはならないと思う。
『純粋理性批判』は最も哲学書らしい哲学書のひとつだと思うので、哲学とはどんなものか知るという意味でも、この本を読む意味はあると思う。

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