長編読書会への参加
2021年から参加している猫町倶楽部の読書会の中で、長編読書会には可能な限り出席するようにしている。長編読書会は比較的長い本を複数回、場合によっては1年をかけて読んでいくタイプの読書会だ。私がこれまでに参加したものは下記となる
長編読書会には感謝している。「死ぬまでにもう読み直すことはあるまい」と思っていた『アンナ・カレーニナ』をふたたび読み返すことができたし、「読みたいけれど、無理かな」と思っていた『平家物語』と『源氏物語』を現代語訳ではあるが読み通すことができた。人生における「夏休みの宿題」を無事終えたような満足感だ。
『聖書』も学生の頃に読もうと思ってトライしたが当然のごとく挫折し、それがちょっと心残りだった。私自身はユダヤ教でもカソリックでもプロテスタントでもないので、読んだからといって何か変化が生まれたわけではないが、自分とは異なる《他者》を感じたよい経験だった。
『道徳感情論』と『カラマーゾフの兄弟』は「読まない済ませてもよいかな」と思っていたものだが、読み終えれば、それなりに達成感がある。『純粋理性批判』は、「これは参加は見送ろう」と思っていたのにうっかり参加ボタンを押してしまった。まだ全回が終了したわけではないが、「ああ、こういう本もあるんだ」と読書という行為について認識を新たにしたような気がする。
『独学大全』は本が出たときに一度読んではいたが、長編読書会という場であらためてゆっくりと読めたのがよかった。実践的な内容を一つ一つ「自分はどうゆう風に取り入れよう」「どんな風にアレンジしよう」と考える機会になった。長編読書会に参加することは、そもそも、『独学大全』の複数の技法、《ゲートキーパー》《会読》あるいは《ラーニングログ》《問読》《指読》《刻読》などを駆使することにもつながっていく。
読書会にはいろいろなタイプがあるし、いろいろな参加の仕方があると思う私は、まちがいなく長編読書会というものが好きだ。
同じ本をゆっくりと長く読んでいくことで関係性が醸成されていく雰囲気も好きだ。自分とは異なる見方や考え方も、何回か話すうちに「ああ、そこがこだわりポイントか」とわかってくるように思える。自分自身のこだわりポイントもゆっくりと明らかになっていく。
読書会は本の読み方を豊かにすると同時に、本や人とのかかわり方を豊かにするようにも思える。