寂しさというものが 常に私の心の奥底にある ということに 瞑想して気づいたよ。 今日は母の命日。
今日は母の命日 18年前は朝から不安の渦に巻き込まれバタバタ🚑大変だった。 18年経った今日 朝から可愛い天使の👼歌声に包まれて優しく、当時の娘達を思い出しなら懐かしい気持ち 姿は見えなくてもいつまでも 両親は心の中で生きている
今日は母の命日 遠く離れて死に目に会えなかった でも お互い分かってたかもしれない 診断がわかるまで3年 進行して14年寝たきり 貴方の最後の言葉今も忘れない もっと話したかった 側にいたかった 抱きしめたかった お母さん今でも変わらず 大好き 貴方の子で幸せ お母さん逢いたい
今日は母の誕生日。生きていたら76才か。64年と1ヵ月で肉体から解き放たれた母。12年。干支一周しちゃったね。もう一緒に日帰り温泉行ったりカラオケしたりできないのはさみしいけれど、この12年間、私は決して孤独ではなかったよ。温かくて心地よい人の輪の中に居る。みんなが私のお母さん。
今日は受診の日低血圧の話をしました。 病院は実家の近くで明日の天気を見越して一日早いですけど母の命日のお墓参りをしてきました。私の好きなダリアをいっぱいにしました。 蒼々と繁った銀杏はまた秋に黄金色に輝くでしょう。民家の空き地にポツンとある銀杏は秋にならないと見つかりません!
他人からしてみれば、気持ち悪いだろう。 馬鹿げている、とも思うだろう。 けれど、一生逢えなくなった母に年に一度言葉を綴る。 無意味だと分かっていても、いつしか年に一度の習慣になった。 無意味なことであっても、自分の現状や感情の起伏、辛さをほんの少しだけ整理し理解できるから。
今日は仕事が休みなので、家の中の気付いた所を掃除していたのだが、先程フッと思い出したことがある。 今日は母親の命日だった。 28年前の今日、午後3時頃に亡くなったんだよなぁ、、、。 あの年は阪神大震災や地下鉄サリン事件もあったり、自分たちの結婚式もあったり、本当に大変だったなぁ。