祥月命日
母が亡くなって8年が経った。
その朝仕事に向かう途中で父から電話があった。
「お母さん、死んだ」
父の声は驚くほど平坦で感情がなかった。
亡くなる数カ月前からずっと入院していて、医師からも、もう良くなる事はないと言われていたから、近いうちにこういう事になると言うのは覚悟していた。
ぼくは家人に連絡し急いで名古屋に戻った。
居間でぽつねんと座り込む父の姿、表情を、ぼくは一生忘れないだろう。
とても天気の良い暖かい日だったと記憶している。
どのお母さんも同じだと思うけれど、ぼくにはとても優しい人だった。
時々とんでもなく抜けていたりする人だったけれど、それも許せるキャラクターだった。
名古屋生まれの名古屋育ちなのに、名古屋駅から一人で戻ってこれないほど方向音痴だった。
食事なんかをして店を出ると、必ず来た方向とは逆に向かって歩き始めるので、よくからかったものだ。
病院で亡くなったが、ぼくは残念ながら死に目には会えなかった。父が看取ったのだけど、ぼくはそれが心残りで、父がその時になったらぼくが必ずそばにいてあげようと心に誓ったのだけど、この親不孝者はそれすら叶わなかった。
母は母方の親族皆に言えることだが、絵とか書が得意だった。祖父は皿などに絵付けをする職人だったし、伯父は彫刻家だった。
娘は芸術大学に進んだ。
血筋なのかも知れない。
亡くなってから夢を見ることもなかったのだけど、先日ひょいっと登場した。
あまりにも普通に会話をしていたので、起きてしばらくは、まだ生きているのではないかと混乱するほどだった。
お母さん、そっちはどう?
お父さんとはうまくやってる?
たまには顔見せてよ。
夢でも良いからさ。