母の命日に起こった浄化のお話し。私の奥深くに眠っていた深い悲しみを知る。
7月23日(日)は、亡き母の命日だった。
その日の朝、日課である瞑想をしていた私は、久しぶりに「母の死」について、色々な想いが浮かび上がってきた。
いわゆる、これは雑念というものだが…。
一般的に
雑念 = 良くないもの
と捉えることが多いと思うが、
瞑想している時の、この「雑念」というものは、案外、大事だったり、ありがたかったりするものなのだ。
瞑想の時に浮かび上がってくるということは、潜在意識という、自分の奥底に静かに眠っていたものが浮かび上がってきているということ。
瞑想というものは、自分と向き合い、自分の中に深く入っていくことで、その奥深くに眠っていたネガティブな想いを「雑念」という形で引き出してくれるのだ。
その日の私は、次から次へと母の死に対して
ネガティブな想いが湧き上がってきて、
申し訳ない気持ちや自責の念にさいなまれてしまった。
「ごめんね、ホントにごめんね、
何もしてあげられなくて。」
「生きてる間に、お母さんの苦しみを
理解してあげられなくて。」
などなど…
完全に、過去に囚われてしまっていた。
瞑想を始めて約10年以上経つが、最初の頃は、このネガティブな想いと自分自身が一体となってしまい、のたうち回るくらい苦しんだこともある。
見たくない、気付きたくなかったものを見せられるのだから、本当に辛い。
逃げ出したくなったり、大声で泣いたり、
そりゃあもう大変だった。゚(゚´Д`゚)゚。
でも、今は、やっと、その自分の状況を俯瞰して(外側から離れて見る)ことができるようになったようで…
今回は、
「あ〜そうだったんだぁ。
私って、もう母の死を乗り越えられたと思っていたけど、まだこんなに自分の中に、
後悔や自責の念や悲しみが残っているんだ」
と、落ち着いて見ていることが出来ていた。
そして、私は、何よりも、母の「自殺」という死に方に、とてもとても傷ついていて、
膝を抱えて小さくなり、
震えている自分がいることにも気付いた。
◎母の自殺について前に書いた記事はこちら↓
瞑想状態の中、そんな自分をジッと見つめて、
自分の深い悲しみの感覚を味わう…。
昔の私だったら、こんな時、瞑想中にもかかわらず、涙がポロポロこぼれてきて大泣きしていただろう。
でも今は、一歩離れた所から自分を見ていられることで、過去にとらわれながらも、とても落ち着いている自分がいる。
すると、
”母の側にいて自殺を止めることが出来なかった家族のことも、母の側にいてあげることが出来なかった自分のことも、責める必要はないんだよ”
と自分の中から声が聞こえてきた。
その声に、とても癒された私。
今回は、またひとつ、自分の奥深くに眠っていた厄介な想いを洗い流せたのだろう。
「もう、大丈夫」と自分に言って、
自分を抱きしめている感覚だった。
今回は、
「命日」というものが、
キッカケとなって起きた心の浄化。
亡き母からの
プレゼントだったのかもしれない。
◎母の死についての関連記事はこちら↓
こんな風に人って、自分の顕在意識では気付いていない想いというものが、たくさん眠っているんだろうな〜って思う。
そして、そのネガティブな想いは、何かのきっかけで呼び覚まされて、今の自分の行動や思考に影響を与えているのかもしれないなと感じた。
自分と向き合う。
内観する。
これは、
ひとりになること。
孤独の中で行うこと。
ひとりになるのが寂しかったり、怖かったり、自分と深く向き合うというのは、勇気も必要だから大変な作業になるけど…
時に、心の中の大掃除は必要だと思う。
溜め込めば溜め込むほど重く苦しくなって、
身動きすら出来なくなる前に。
瞑想にこだわらなくても、ひとりで歩くとか、
ボーッとするとか、他にも自分なりの方法を見つければいいのだと思う。
とにかくひとりになることだ。
でも、大変な作業の後は、確実に自分が軽くなって今より生きやすくなるから
チョーオススメ(^O^☆♪です。