「来世の夢は?」と聞く人も語る人もなかなかいないとは思いますが、なぜだか「来世はオペラ歌手」と言っていました。 オペラが好きな訳でもなく、クラシック音楽といえば、4才くらいから13才くらいまで習っていたバレエで聞いて踊っていた音楽。 まして、オペラソプラノ特有のキーンとした高い声で歌う音楽には興味がなく、アメリカンポップスや歌謡曲が好きでした。 特に郷ひろみが好きで追っかけをしていた友達についてコンサートやTV収録に行ったものです。 またディスコ世代ですので、小林克也さん
コスタリカ戦を敗れた 日本代表の試合のあとの 「美しいロッカー」と 折り鶴に感謝の言葉を添えて その場を離れた日本選手団に賞賛の言葉が後をたちません。 またサポーター達の自主的なゴミ拾いも驚きを持って報じられました。 応援される側も応援する側も心は一つ 日本人として誇りに思います。 この善行は今に始まったことではなく、毎回毎回のワールドカップでもその姿は見られましたが今回みたいに大きく話題にはなりませんでした。 話しは変わりますが、 もうずいぶん前にインドの女性平和活動
朝、歯医者で電車を渋谷で乗り換えるのに人が多くなり過ぎてお年寄りが右往左往している。ほんとに歩きにくい町になってしまった。 東京に出てきた若者は故郷のためにもUターンをして欲しいと願う。さもないと日本がなくなってしまう。
noteを使って数日です。エラー表示が出てコメントができないようで残念です。読んでいただいた方、好きしていただいた方、フォローしていただいた方ありがとうございます。 そしてよろしくお願いいたします🎶 天に行く時に「お花畑がみえる」とか、「三途の川があってそれを渡らずに帰って来た」とか聞きますが、私は違う体験をいたしました。 それはある手術でのことでした。 その手術には麻酔医師ではなく、手術をする若い医師が直接麻酔をして手術を行うものでした。 手術の準備が整って麻酔が効き始
昨日は母の命日だったこともあり、夫との話しはだいたい母のこと。 夕方の散歩の帰り道に夫が 「お母さんが生きてたら最初は僕の家に住んでたかな」っと聞くので、 「それはあり得ないよ。私たち知り合ってないだろうから」 「???」 そう、母が亡くならなければ、私はすんなりとロンドンに戻って独身を謳歌していたか、ロンドンの地で知り合った人と結婚してたかであろうから。 母が亡くなった後もロンドンに戻ろうとも思っていたが、父も母の5年前に亡くなっていたので、実家の相続の件やら両親の
今日で母が亡くなって20年。 お墓参りはあの霊園の空気が私の気に合わないので行かない。でも毎日母を思って手を合わせている。 64歳での死。 母の人生は幸せだったのか否か? そもそも幸せの定義って人それぞれだからそれを他人が判断することでもないと思うけれど、 毎年母の命日になると母はもっと幸せに生きることもできただろうと涙が浮かぶ。 2001年世界が同時多発テロで悲しみと怒りを抱いていたその12月に数年遊学していたロンドンから一時帰国。 それで母の具合が悪いのを知った。