母の命日
今日で母が亡くなって20年。
お墓参りはあの霊園の空気が私の気に合わないので行かない。でも毎日母を思って手を合わせている。
64歳での死。
母の人生は幸せだったのか否か?
そもそも幸せの定義って人それぞれだからそれを他人が判断することでもないと思うけれど、
毎年母の命日になると母はもっと幸せに生きることもできただろうと涙が浮かぶ。
2001年世界が同時多発テロで悲しみと怒りを抱いていたその12月に数年遊学していたロンドンから一時帰国。
それで母の具合が悪いのを知った。母は医者には「糖尿病」だと言われていたから軽くとっていたのかもしれないが、
それにしても具合が悪そうなので違う医者に連れて行って紹介されたのは東京女子医大。
そこでも糖尿病と診断されて、今度はまたもや糖尿病専門の病院へ紹介されて2週間入院。
そして食事療法やインシュリン治療が終わる最後の日にMRIをとってわかったのが、癌かもしれないということ。
また女子医大に戻ってわかったのが、膵臓癌。
何やってんだろうね医者は💢
膵臓癌はわかってから半年の命だといわれていたから、それからが走馬灯のように、母の病院の付き添い、入院や治療、介護、、、
母が望むのは、母にとって良いのは、、、くるくる、くるくるとまわりだす日々。
私を含め家族は母に生きて欲しいと願っているからあらゆる治療を試して欲しいと思っている。
これがダメなら次はこれ。
それでも限界があるし、限界を知らなければならないとも思った。
当然母にも膵臓癌のこと余命のことも話していたので、母はどうしたいのだろうか?
行き着いた答えは家に居たいと言うこと。
ちょうど私がロンドンから帰って来て居合わせて、母をみることが私のお役目だったのだろう。
テロ後でもあり、イギリスでのビザを更新するのに通らず、一旦帰国してから日本で申請して戻ろうと思っていたタイミングでもあり、今思えばコーリング(呼ばれた)だと思っている。
妹たちからは「お姉ちゃん独り身だからお母さんの面倒みてほしい」と言われたけれど、その前に自分でも決めていたから「やるよ」とは言ったものの、妹たちには私の人生のことまで決めてほしくないとも思った。
今でこそ在宅医療や介護のヘルパーさんが助けてくれる体制が整っているけれど、その時はまだ一般的ではなかったから、夜中でも駆けつけてくれた看護婦さんにはとても感謝している。
死に際にある人(母、父、叔父の経験から)は夜中の2時頃に天から呼ばれているのか、誰かに呼ばれているのか、今にも連れっててと言わんばかりに両手を上にあげて何かを掴むかのようにしている。
死への入口へ行くのを彷徨っているのか?
それとも早く連れっててと意思表示しているのか?
(私も違う死への経験をしたことがあるので、それは今度書きます)
毎晩母のベッドの隣で寝ていると母が生きているかどうか、顔を近づけて寝息を確認したり、お腹の膨らみと凹ましで息しているのを確認していた。
夜中にいきなりピーピーなる点滴にもヒヤヒヤさせられた。
その時は突然やって来た。昼間に妹と姪が来てて、何時間か普通に会話して帰って行った矢先。
妹に連絡すると「え、さっき話したところだったのに?」と。
私の母への最後の言葉は「犬の散歩行ってくるね」と普通の日常会話。
母の返事が「うん」と言った後に寝息が少し大きく「はーはー」というのが続いて、そのまま逝ってしまった。
まるで眠るようにとはそのことで、ホームドクターに連絡して彼が来る間、
何度も母の顔に自分の顔を近づけて息しているのか、心臓に手や耳をつけてドクンドクンと聞こえるのか、脈拍器を付けてみたりした。
ドクターが来て最初に言った言葉は「眠っているのでしょう」
「だと思いたいけど違うのよ、ドクター」
ドクターが再度確認して死を確かめた。
私は病気で死ぬことを不幸だとも思ってない。
人は死ぬ時には死ぬし、どうもがいても死ねない人もいる。
生老病死
段々とその年に近づいてくる自分。
母に感謝。
そして今日に感謝。