どこかの二階の窓である。一体なんの影なのだろう。まるで墓石のようである。いや、少し透けている。わからない。なんの影ですかと訪問したら、「あなた誰?」となるに決まっている。なのでしばらく外から眺めていたのだが、どこかから通報されそうな気がして踵を返した。また行ってみたいと思う。
ここを見ていると言っていた、昨夜の男性へ。人生は誰と出会ったかで決まる。そのためにも善い出会いを増やしなさい。善い出会いを増やすには、己の善い部分を磨くこと。それが磁石になる。善い部分を見つけるのが難しかったら、他人から感謝された場面を思い出しなさい。気づきにつながるから。
黒ニンニクが完成した。けれど2週間は長すぎたらしく、干からびたような按配である。甘みもない。けれどすごいのは、ニンニクの臭いがしないこと。これならいくらでもいける。とはいえ、タイパやコスパを考えると、市販品のほうがよいような。炊飯器も臭くて他に使えなくなってしまったし。
いわゆる、ロゴライト。斬新ではあるが外国人の発想だろう。日本人の感性なら、大切な屋号や代紋が踏まれるなんて、とやらないはず。逆に言うと「ああ、日本人の店じゃないのね」のサインになるかもしれない。しかしこれ、キリストを模していたらどうなるのだろう。非難の声が上がるだろうか。
横須賀市若松町の界隈には、こんな小路がじつに多い。この先どうなっているのだろうと奥に歩むと、こんな感じで遮蔽物があったりする。けれどこれが楽しい。数々の映画のシーンを思い出すから。もちろん追われている場面である。「ここは飛び越えなきゃいかんなあ」などとニヤニヤ眺めている。
皆様、明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。さて新年にふさわしい画像を探しましたが、私の初日の出はこれだろうと選びました。決して飲み明かして始発駅に向かう様子ではありません。では皆様、這いつくばってでも、前に進みましょう。
君の今年の目標はダイエットだな、などと話しかけていたが、なにも答えてくれなかった。ともかく敵意も、さらには愛想もない犬だったが、満ち足りた表情をしていた。動物こそ誰に飼われたかで一生が決まるよな、などと考えていると、「誰にだって添うのが私たち」との声が聴こえたような気がした。
カラオケ好きのただのオヤジと侮るなかれ。神奈川県警の元刑事である。私はこの先輩から、往時の話を聞くのが好きだ。とはいえ守秘義務があり、核心部分は語ってくれない。それでもヒリヒリとした空気を感じる。幾多の修羅場を潜ってきたのであろうその目は鋭く、時に優しい。さて、刑事といえば……。
私は独居の高齢者である。家屋も古く、どこからでも侵入できる。となると闇バイト強盗の標的になるのか。と思ったら、貧しいことに気づいた。タンス預金どころかタンスがない。知り合いからも「リストにも入らない」「逆に金を置いていくかも」などと言われた。なんだろう、この安堵以上の疎外感は。
強盗犯の認知能力と知能の低さを見るに、やはり学校教育の敗北は否めない。犯罪を犯すとどうなるのかを、元犯罪者を教室に呼んで語らせるべきである。留置所にさえ入ったことのない教師がいくら言ってもダメ。ああ、でも定期的に捕まってるな、猥褻教職員が。こいつらに話させるか。いや、違うな。
闇バイト強盗の実行犯だが、明らかに知能が低い。これは別問題を示唆している。まず学校教育の水準の低下。それと街の教育者の不在。昭和の頃は、街に怖いオヤジがいた。法はさておき、人として男としての道を説いてくれたものである。ホワイト社会などより、グレーこそ寛容で学知的だと思うのだが。