山田深夜
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主役のボブ・オデンカークをあえて語ってこなかった。彼はもともと作り手の側で、作家や脇役として才を発揮してきた。本格的なアクション俳優はこれが初めて。なのでこのシリーズ以外で活躍せず、コメディ作家のままでいてほしいのである。ともあれ歳は私とひとつ違い。私も京急バス内で静かに笑むか?
「Mr.ノーバディ」を何度も観ていたら、主人公より父親の方に感情がゆくようになった。FBIで日夜悪党を退治していたが、今や老人施設の入居者。輝いていたあの頃が懐かしい。その気持ちの表れが、ひがな眺めているあのテレビの西部劇だったのだと思う。いいわやっぱりこの映画。
「I've Gotta Be Me」 ニュアンスとしては「私は私であれ」か。 ブロードウェイのミュージカル 「ゴールデンレインボー」に登場した曲である。 1967年にスティーヴ・ローレンスがシングルリリース。しかしヒットせず。その後にサミー・デイヴィス・ジュニアが歌い、ヒット曲となった。 詞の内容は「私は私でなければならない」といったもの。 良くも悪くも 居場所が見つからなかったとしても 私は私でなければならない まあ、人生の応援歌であろう。 抒情的で、悪くない曲である
映画「Mr.ノーバディ」だが、すでに型はある。「96時間」「イコライザー」などの、普通の中年がじつは強者だった、というもの。けれどこの主人公、本当に見た目が冴えないのだ。そして無双でもない。殴られ放られ、徐々に覚醒してゆく。これらがよい。そして場面に合った往年の名曲。最高である。
2021年公開の「Mr.ノーバディ」(原題「Nobody」)を観た。いやあ最高である。平凡な生活に憧れて引退した政府の特務機関員が、ある事を機に眠っていた暴力性を目覚めさせる、といった物語である。どう見ても冴えない見た目の主人公がとてもよい。音楽のチョイスがまたよいのだ。必見。
ボロボロになった、おそらく烏山椒であろう植物を挿し木にしてみた。やり方はネットで調べ。ともあれ蝶のために己を犠牲にし、身をやつしてくれたのだ。そして私を楽しませてくれ、いろいろと考えさせてくれた。このくらいのことはしてあげたい。しかし今の世の中、百均で全部揃ってしまうのだなあ。
ドラマ「刑事のまなざし」をTVerで観終えたら、薬丸岳氏の原作を読んでみようと思う。書籍化は2011年だが、古さをまったく感じさせない面白さである。それと気になるのが氏の文学賞の受賞歴。私とかなり被っているのだ。いや、私は候補ばかりで受賞はしていない。ともあれ彼我を見つめたい。
植物からすれば、葉を食む虫は厄介であろう。植物を愛でる人にも、青虫など害虫でしかないはず。でも人には見えないなにかで、蝶は恩返しを、植物もなにかの恩恵を受けている気がする。いや、そうであってほしい。ちなみに私は草むしりをしていて幼虫を見つけ、その植物だけ抜かずにおいた。
ナミアゲハの幼虫がすべていなくなった。餌になった植物も、これで今年のお役目は終わり。しかしこれ、山椒だと思うのだがよくわからない。なにせ新芽がバリバリ食べられ、花も実も生ったことがないのだ。そこで挿し木で増やしてみることにした。ともあれここまでの御礼を。ありがとうございました。
ドラマ「刑事のまなざし」だが、テーマは「信じることと疑うこと」のように思える。もしかすると信じると疑うは同義ではないのか? とも考えさせる。薬丸岳氏の原作は未読だが、このように立ち止まらせる作品は素晴らしい。そして創作の苦労が窺える。役者の発するセリフに命を削った跡が見えるのだ。
TVerにて2013年のドラマ「刑事のまなざし」を観ているが、とてもよい。やはり小説が原作だと物語の奥行きが全然違う。40過ぎの過去のある新人刑事という設定も斬新。役者たちがまたいい。椎名桔平の、こんな穏やかで優しい役どころは初めて観た。とまれ私もこんな物語を紡ぎたいものである。
私は独居の高齢者である。家屋も古く、どこからでも侵入できる。となると闇バイト強盗の標的になるのか。と思ったら、貧しいことに気づいた。タンス預金どころかタンスがない。知り合いからも「リストにも入らない」「逆に金を置いていくかも」などと言われた。なんだろう、この安堵以上の疎外感は。
強盗犯の認知能力と知能の低さを見るに、やはり学校教育の敗北は否めない。犯罪を犯すとどうなるのかを、元犯罪者を教室に呼んで語らせるべきである。留置所にさえ入ったことのない教師がいくら言ってもダメ。ああ、でも定期的に捕まってるな、猥褻教職員が。こいつらに話させるか。いや、違うな。
闇バイト強盗の実行犯だが、明らかに知能が低い。これは別問題を示唆している。まず学校教育の水準の低下。それと街の教育者の不在。昭和の頃は、街に怖いオヤジがいた。法はさておき、人として男としての道を説いてくれたものである。ホワイト社会などより、グレーこそ寛容で学知的だと思うのだが。
遠峰あこ氏のことを、なぜ今まで知らなかったのだろう。かなりのキャリアと実力の持ち主なのだ。それも隣の横浜で長らく活動していたのに。横須賀ばかりに目を向けていたせいもあるが、やはり私の感性のアンテナが錆びていたためだろう。けれど「タイミング」もあったのではと勝手に解釈している。
遠峰あこ氏のアコーディオン漫謡を観てきた。彼女のことを知ったのは最近。これはぜひ生で観たいと調べたら横浜でやることを知り、急遽足を運んだ。いやあ「あこワールド」最高である。もちろん「横須賀でぜひ観たい」と氏に伝えた。落語より先にあこ氏の「漫謡」が横須賀で観られるかもしれない。