灯台 〜 暗闇に光を与える存在
今回は、灯台の歴史とそれにまつわるお話です。
灯台のはじまり
古来、人々は丸木舟や筏で海に出るとき、特徴のある山の頂や岬の突端などを目印にしてきました。
しかし、船が大きくなるにつれ、より遠くへ出るようになり、遠方からでも良く分かる確実な目印が必要になりました。
そのため、岬や島に塔を建てて焚火をしたり、煙を上げたりして船の目標としたのです。これが灯台のはじまりです。
世界最古の灯台
紀元前7世紀に、ナイル川河口の寺院で焚かれた火が、最初の灯台と言い伝えられています。
有名な遺跡では、紀元前280年頃にエジプトのアレキサンドリア港の入口、ファロス島(「ファロス」は、ギリシア語で「灯台」を意味)に建てられたアレキサンドリアの大灯台があります。
アレキサンドリアは、マケドニアのアレキサンダー大王によって、紀元前331年に築かれた港湾都市です。
ただ、ナイルデルタ周囲の陸地は、どこもなだらかで山がなく、目印となる建造物を必要としていました。
そのため、大王はこの地に灯台の建設を指示したのです。
建材にはブロック状に切り出された大理石が使われ、完成までに20年の歳月を要したそうです。
大灯台の高さは134mに及び、ギザのピラミッドに匹敵する、当時としては世界で最も高い人工物のひとつでした。
大灯台の頂には鏡が置かれ、日中は陽光を、夜間は炎の明かりを利用して海を照らし、一説には50kmも離れた場所まで光が届いたと言われています。
その後、796年の地震で半壊。14世紀の2度の地震で完全に崩壊しました。
この大灯台のことは、イヴン・バトゥータの「旅行記」をはじめとする様々な文献に記録され、南宋時代の中国の記録にも残っているそうです。
日本における灯台の歴史
9世紀前半、遣唐使船が帰ってくる時の目印として、九州各地の岬や島で煙や火が焚かれたことが、日本での灯台の始まりとされています。
江戸時代になると、日本式の灯台が建てられるようになりました。
当時は「かがり屋」とか、「灯明台」(とうみょうだい)などと呼ばれ、港で灯台の役割を果たしていました。
一方、「燈明堂」(とうみょうどう)は、より遠くの海を照らす灯台としての役割を担っていました。
神奈川県横須賀市にある浦賀燈明堂は、幕府の命により1648年に造られ、菜種油で灯された光が海上約8kmを照らしたといわれています。
西洋式灯台の誕生
ただ、それでも燈明堂の灯は不十分で、長いこと鎖国をしていた日本周辺海域は、諸外国から「ダーク・シー(暗黒の海)」と呼ばれ、恐れられていました。
幕府は、1864年に生起した長州藩と米英仏蘭4か国との戦争(馬関戦争)の賠償金を支払うことになったのですが、1866年の改税約書(いわゆる「江戸条約」)で、賠償金の減免と引き換えに灯台の設置が義務づけられました。
灯台の技術を有していなかった幕府は、フランスやイギリスに灯台の導入と技術指導を頼みました。
最初の灯台は、横須賀製鉄所を建設するため来日していたフランス人技師、フランソワ・レオンス・ヴェルニーに依頼。
設計は製鉄所建設課長のルイ・フェリックス・フロランが担当し、灯台には「ヨコスカ製銕所」の刻印がなされた赤レンガが用いられました。
この事業は明治政府にも引き継がれ、1869年、日本初の洋式灯台が横須賀の観音埼に完成します。
その後の灯台建設を請け負ったのがイギリスです。
「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンが、1868年から約10年間で26基の灯台と、2隻の灯船(灯台の役目をする船)を建設しました。
「ブライト・シー」へ
横須賀製鉄所が造船所、海軍工廠へと発展し、その技術が佐世保、呉、舞鶴等の軍港に広がると、やがて日本近海は、大きな軍艦や商船が行き交う「ブライト・シー(明るい海)」(注)へと生まれ変わりました。
(注) 海が明るくなったのではなく、航行する艦船から見て、陸岸部との位置関係がより分かり易くなったという意味です。
そして、現在、約3,200基の灯台が日本の沿岸部で光を放っています。
海上保安庁が担う航路標識
戦後、1948年年5月1日に海上保安庁が発足すると、灯台の管理業務は海保の交通部が担うことになりました。
海保では、従来の灯台に加えて、潮流信号所や、無線方位信号所などを総称して「航路標識」と呼んでいます。
灯台のしくみ
灯台には、軽量化のため「フレネルレンズ」の原理が取り入れられています。
大型の灯台では、このレンズを回転させることで、指向性のある閃光を生み出しています。
また、灯台の光の色や光の出し方(灯質)は灯台ごとに決められていて、灯質の違いから、どの灯台かを判別できるようになっています。
~ 日本の灯台あれこれ ~
城ケ島灯台
観音埼灯台と同じく、フロランが手掛けた灯台です。
樫野埼灯台
こちらはブラントンが手がけた最初の灯台で、1870年に建設されました。初めて回転式閃光を採用しました。
なお、建設から20年後の1890年9月、樫野崎から数百メートルの沖合で、トルコ海軍の「エルトゥールル号」が台風により座礁し、海に投げ出された乗員が樫野埼灯台の灯火を頼りに泳ぎ着いたといわれる場所です。
近くにはトルコ記念館や、トルコ共和国の初代大統領、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの銅像があります。
角島灯台
日本に2つしかない無塗装の灯台で、ブラントンが設計した最後の灯台となります。
日本海では初めての洋式灯台で、重要文化財に指定されています。
全国に16しかない登れる灯台のひとつで、105段のらせん階段とはしごで上がることができます(約30m)。
日御碕灯台
1903年に設置された、日本一の高さを誇る石造りの灯台です(約44m)。
日本人が設計・施工したもので、重要文化財に指定されています。
都井岬灯台
1929年に設置された灯台です。眼下には広々とした太平洋が広がり、天気が良ければ、内之浦や種子島からのロケット打ち上げが観望できます。
日南海岸国定公園の一部となっており、道中、放牧された野生馬と車が接触しないように注意が必要です。
佐多岬灯台
九州最南端、つまり日本本土最南端の灯台です。この灯台も歴史は古く、江戸条約によって1871年に設置されたものです。
沖縄の灯台
沖縄で最初の洋式灯台は、1896年に設置された津堅島灯台です。
本土よりも35年ばかり遅れて灯台整備が始まったということになります。
ホテルに建つ公式灯台
1964年、旧・オリエンタルホテルが神戸市中央区京町に移転した際、「港町・神戸のシンボルに」と、日本で初めてホテルの屋上に灯台が設置されました。
しかし、1995年の阪神淡路大震災でホテルは被災。同年7月に開業が決まっていた神戸メリケンパーク・オリエンタルホテルが、灯台を継承することになりました。
航空灯台
余談ですが、航空法施行規則第4条で定められる灯火の一種として、飛行場にも「航空灯台」というものがあります。
船乗りのみならず、パイロットも海の灯台や航空灯台が放つ光を頼りにしているわけですね。
登れる灯台16基
体力に自信がある人は、登れる灯台には片っ端から登ってみましょう😄
灯台下暗し
ちなみに、「灯台下暗し」という諺がありますが、ここで言う「灯台」とは、海を照らす灯台のことではなく、「燭台」、つまり、ロウソクで火を灯す灯火具のことを言います。
燭台の下の方は暗いことから、「人は身近な事には気づきにくいものだ」ということを例える言葉になったのです。
おわりに
鎖国が続いた日本の「暗い海」を、灯台で明るく照らし出すことが、国家繁栄への第一歩となりました。
全国3,200基の灯台は、ひとつとして同じ姿をしたものはなく、それぞれが放つ光のパターンも違っています。
それはまるで、海洋国家ニッポンを支える八百万の神々の縮図のようです。
それらの灯台は、全体として調和をもって働き、ひっそりと、絶え間なく光を送り続けています✨
皆さんも、是非、近くの灯台で海のロマンを感じてみて下さい🍀
日本の灯台50選
灯台を舞台とした映画
灯台をイメージさせる歌