旧暦に31日無し。文禄2年(1593)12月は家康が儒学者の藤原惺窩を江戸に招き「貞観政要」を講じさせた。のちに家康の政治ブレーンの一人となる林羅山は惺窩の弟子。「貞観政要」は唐2代皇帝の太宗と名臣の問答の中で政治倫理に関する部分をまとめた帝王学の教科書として古くから愛読された。
江戸初期の儒学者、林羅山。肖像画は総じて僧の姿ですが、彼は僧ではありません。 当時武士に仕える文官は僧というしきたりがあり、僧体になることを命じられたのです。 実は彼は、京都で学んだ際、僧体が嫌で寺を脱走したほどの坊主嫌い。 我慢の代償として林家は江戸時代を通じ栄えるのですが…。
林羅山について。 林羅山は江戸幕府に仕え朱子学官学の礎を築いた。当時の士農兵商を中心とした上下身分は絶対的だとした。