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日本三景はどうやって決まった?
こんにちは、ハレルヤです。
今回は日本三景のお話です。
日本三景ってご存知でしょうか?
日本三景とは宮城県の松島、京都府の天橋立(あまのはしだて)、広島県の宮島(いつくしま)をいいます。
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どれも、美しい景色で、日本のみならず、外国からも人気の観光スポットになっています。
では、この日本を代表する『日本三景』は誰がどのようにして決めたのでしょうか?
答えは、何処かの役所でも松尾芭蕉でもありません。
林春斎(はやししゅんさい)という人物によって日本三景は観光名所として多くの人に知られるようになりました。
林春斎は儒学者の父を持つ林羅山(はやしらざん)の息子です。
儒学者とは道徳、礼節、秩序を自分の行動規範とし、他人にそれらを教える人です。
林羅山は江戸初期の人物で当時、儒学者として有名な人でした。
そして、その息子の林春斎は、ある日、『心の休まる場所を求めて』全国を旅し、その中で最も気に入った場所が宮城県の松島、京都府の天橋立、広島県の宮島だったのです。
林春斎は1643年に『日本国事跡考』(にほんこくじせきこう)という旅の書を残し、日本三景を『三処の奇観』として紹介し『日本の中で最も勝れたる景色』と誉め上げたことから江戸時代後半、旅行者が増えるとともに観光名所になっていきました。
ハレルヤはどれも行った事がないので行ってみたいです。
今回は以上です。
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