Koizumi Satoshi

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団、岡山神召キリスト教会、福山キリスト教会の牧師。礼拝説教の要約、今まで作成してきた教会のデボーションガイドやエッセイなどを掲載していきます。写真の転載はお断りします。

Koizumi Satoshi

日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団、岡山神召キリスト教会、福山キリスト教会の牧師。礼拝説教の要約、今まで作成してきた教会のデボーションガイドやエッセイなどを掲載していきます。写真の転載はお断りします。

マガジン

  • 福山説教要約集

    福山キリスト教会での礼拝説教の要約です。

  • 岡山

    岡山県とキリスト教についてのエッセイ

  • 説教要約集

    過去の説教要約を掲載しています。

  • バイブルトレーニング

    クリスチャン向けの脳トレ。子どもから高齢者まで楽しく、聖書に親しみながら、ゲーム感覚で脳を活性化していきましょう。初級編、中級編各レベルが違います。

  • 福山

    福山とキリスト教についてのエッセイです。

最近の記事

エゼキエル書24章1節ー26節

「将来を生きる者」 日記を見返すと、あの日、自分がどこで何をしていたかを思い出します。エゼキエルが記す日付からは、今日の話が預言者として召されてから4年目のことだと分かります。4年もみ言葉を語れば、人々はそれなりに信仰的になれたでしょうか。いいえ。エルサレムは鍋にたとえられています。しかしそれは錆びた鍋で使えないのです。流血の町を神が何度もみ言葉を持って洗おうとしたのに、錆のようにこびりついた罪は決して落ちませんでした。 主はこの鍋に火をかけようとしています。バビロンの包囲

    • テモテへの手紙第一6章17節ー21節

      「望みを与える神の恵み」 主の再臨に思いを向けるパウロは、教会の中の富める方々が信仰に立てるように手引きします。富を誇って高ぶってはいけないのです。いつの間にか富さえあれば神なしでも独り立ちできるかのような錯覚が忍び込むからです。富さえあれば人が自分を尊敬するかのように誤解します。しかし、富はいつ消えるかわからないほど不安定です。望みをおくべきは富ではなく、神なのです。 なぜなら神はすべてを豊かに与えて下さるお方だからです。豊かとは自由にとも訳せる言葉です。神が用意して下さ

      • 使徒言行録12章20節ー25節

        「神に栄光を帰す」音声はこちらからお聞きになれます。 ここに描かれているのは教会に弾圧の手を加えるヘロデ王のあっけない死です。ことのおこりはヘロデ王がティルスとシドンの住民に腹を立てて、食糧の供給をストップしたことでした。彼はこれらの町の生殺与奪を握っていると思っているほど権力に酔いしれているのです。食べ物欲しさに和解を申し出た町に赴くと、きらびやかな衣装を身にまとい、祝いの日に王座から演説しようとしたのです。 民衆はお追従からだったのでしょう。演説の言葉をほめちぎります。

        • 赤磐のエデンの園とアダムの子

          岡山市のお隣、赤磐市には英国庭園があります。熊山英国庭園。廃校になった小学校の跡地に誕生したものですが、この庭園はイギリスのウィリアム・ロビンソンの「野生の庭」思想に基づいて設計されています。ロビンソンは古き良きイングランドのあるがままの自然に庭園の理想を求めました。 ロビンソンに限りませんが、イギリスでは庭園制作の目的は旧約聖書創世記に登場する「エデンの園」を地上に再現することでした。このため、聖書の言葉に基づいて「見るに良き」花や「食べるに良き」果樹、及びハーブが植えら

        マガジン

        • 福山説教要約集
          73本
        • 岡山
          25本
        • 説教要約集
          119本
        • バイブルトレーニング
          2本
          ¥150
        • 福山
          8本
        • エッセイ
          48本

        記事

          ヨハネの手紙第一4章19章ー21節

          「愛か憎しみか」音声はこちらからお聞きになれます。 ヨハネは私たちが互いに愛し合う理由について目を向けるのです。その根拠は神が私たちを愛して下さったことに尽きるというのです。神を根源としない愛では崩れてしまうでしょう。神が愛であることを体験した者は、おそれの思いから解放されます。様々な恐れや不安がありますが、究極の恐れは神からの審判です。自分のような者にはいつか天罰が降るのではないかと憂える。好ましくないことが起こると神の罰を疑い怯えるのです。 しかし神が愛であると悟ったの

          ヨハネの手紙第一4章19章ー21節

          エゼキエル書23章1節ー49節

          「破滅と再生と」 今日の物語は神の夫としての側面を告げています。アホラとアホリバとは、ソロモン王のあと南北に分裂した北イスラエルと南ユダを女性に擬人化して、たとえた姿です。どちらも天幕に関係のある名前です。天幕とは旧約聖書では神と礼拝し、交わる聖なる場。主は彼女と結婚するのですが、彼女は決して貞淑な女性ではなかった。エジプトで淫行したとあるように、罪にまみれた姿を知りながら、それでも主は彼女を愛し抜くわけです。 恵みとはこういうものでしょう。神は私たちが人間的に立派になって

          エゼキエル書23章1節ー49節

          テサロニケ人への手紙第一4章13節ー18節

          「死の眠りから起こされる時」 使徒パウロは知らないままでいてほしくないことについて述べるのです。知らないでいることで悲しみに沈んでしまうことがあるからです。今から語ろうとすることは悲しみを乗り越える希望なのです。眠った人々がテサロニケ教会にいるからです。死が見つめられているのです。正直に言うと私たちは死を体験したことがありません。そういう意味で死について何も知りませんというほかはないのです。 もしも死について語れる資格があるとすれば、それは死の世界から戻って来た者ではないで

          テサロニケ人への手紙第一4章13節ー18節

          ヨハネの手紙第一4章17節ー18節

          「神の愛のゴール」音声はこちらからお聞きになれます。 ヨハネは愛が全うされると言うのです。ゴールまで到達するという意味です。旅を想像したらいいでしょう。イエス様を信じるまでの旅がありました。イエス様を信じてからの旅もあり現在進行形です。しかしその旅はこの地上で完結するものではないのです。地上の歩みが終わった時に、神のみ前に立つ日がやってきます。そこで神の判断を受ける厳かな瞬間が待ち受けているのですから。 しかし、その時が訪れても心配するには及ばないと約束されています。自分は

          ヨハネの手紙第一4章17節ー18節

          岡山と恐竜と聖書

          岡山市の表町商店街にはどういうわけか恐竜のオブジェがある。プテラノドンとティラノサウルスだろうか?なにゆえ恐竜なのか理由は定かではないが、岡山と恐竜は決して無関係ではない。 恐竜が出てくるコナン・ドイルの小説「失われた世界」(ロスト・ワールド)。これを翻訳したのが岡山県出身の翻訳家、延原謙だからだ。ドイルがこの小説を書いた当時のヴィクトリア時代のイギリスは一種の恐竜ブームに沸いていた。興味深いことにドイルは恐竜が今でもいるという設定の南米の地の描写を旧約聖書の創世記のエデン

          岡山と恐竜と聖書

          岡山にはヨーロッパ由来のお化けの伝承がある

          キウモウ狸という名前だ。ジブリアニメを持ち出すまでもなく我が国では、動物の狸とお化けの違いは曖昧なので、お化けと言っても問題ない気がする。 三浦秀宥著「岡山の民間信仰」によるとこの狸は戦国時代に南蛮船でキリスト教の宣教師とともに来日し、各地を遍歴した後、なぜか吉備国に定住したという。江戸時代の書肆「御津郡史」に証言かある。 今風に言うと外来種になるのだろうが、不思議で仕方ないのは外国に狸はいないこと。日本の固有種なのだ。 伝説と歴史のあわいに想像逞しくするとこの狸は動物

          岡山にはヨーロッパ由来のお化けの伝承がある

          スウェーデンと岡山と教会

          家の近くに一際異彩を放つ建築物がある。当初これはなんだろうとわからずまさか警察署だとは思いもよらなかった。あれは何ですかと県外の方にも尋ねられたことがある。 岡山西警察署。著名な建築家の磯崎新の作品で全国から建築マニアみたいな方々が見学に見える。教会建築も手掛けた方で兄弟団成増教会や東京基督教大学チャペルもこの人の作品。 それもそのはずクリスチャンの建築家、丹下健三の弟子なのだ。本人がクリスチャンかは存じないがなんらかの関係はあるだろう。 岡山西警察署で特徴的なのは円柱

          スウェーデンと岡山と教会

          岡山のヨシュア

          岡山城の近く、天神地区界隈に山陽放送(RSK)本社の建物があります。あそこにはかつて大きなテーマパークがありました。亜公園という名前で、7階建ての塔、集成閣もありました。  敷地内には如水館という名の写真館もありました。岡山ゆかりのキリシタン大名黒田如水からつけられたネーミング。如水は一説では旧約聖書のヨシュアが由来らしい。英語ではジョシュアですがこれがスペインやポルトガルではじょすいに近い発音になるそうで。 岡山の中心地にヨシュアの名前が刻まれたことになります。このテー

          岡山のヨシュア

          岡山と新潟の敬和学園

          新潟にあるキリスト教主義の学校、敬和学園と岡山は深い関係がある。初代校長の太田俊雄が岡山の出身だからだ。岡山市北区万成。私たちの教会のすぐ近くだ。万成石という花崗岩の採掘で知られる土地で、太田の父も石切山の切り出しを生業とする。 私立中学岡山黌に進学した時、クリスチャンの英語教師、柴田俊太郎と出会い感化を受ける。柴田の親戚には、エリザベスサンダーズホームを開いたクリスチャンの澤田美喜がいる。柴田は、教え子の太田に、山口県の秋吉台の採掘場で若者の育成事業に携わったクリスチャン

          岡山と新潟の敬和学園

          ノートルダムとゴジラと製鉄

          私たちの教会のある地域の地名は伊福と言います。同地域にはカトリック系の学校ノートルダム清心女子大学があります。渡辺和子シスターが勤められた学校として知られています。 伊福という地名の由来が気になっていたのですが、どうも息を吹く、息吹から来ているらしく、谷川健一著「青銅の神の足跡」によると、これはたたら製鉄で鞴(ふいご)を吹く作業と関係あるらしい。伊福部と呼ばれる産鉄民が住む地ということのようです。ジブリアニメ「もののけ姫」とも関係があって、あれもたたら製鉄の話でした。一説で

          ノートルダムとゴジラと製鉄

          弾丸列車といわさきちひろを繋ぐ線

          岡山市古松地区。瀬戸大橋線の大元駅の西側に戦前、新岡山駅を作る計画がありました。東京から下関間を高速で繋ぐ弾丸列車の駅です。計画は戦争や用地買収の問題で挫折するのですが、企画に携わった旧国鉄の人物の1人が島秀雄。 この人物がキリスト教とも関わりがあります。息子の伴侶、島多代がクリスチャンなのです。絵本作家として知られる方で、聖心女子大を卒業後、カトリック系の出版社、至光社で編集者になります。この時の編集の働きを通して世に出たのがいわさきちひろ。子どもの水彩画で知られた画家で

          弾丸列車といわさきちひろを繋ぐ線

          岡山と金太郎とキリスト教

          岡山と言えば桃太郎だが、実は金太郎とも深い関係がある。1912年岡山市の東山公園を会場に児童博覧会が行われます。全国で展開された児童博覧会を推奨したのはクリスチャンの児童文学者、巌谷小波。童謡の「足柄山の金太郎」を作詞したのもこの人です。それと関係があるかは不明ですが、岡山児童博覧会では地元の学生が制作した金太郎像も披露されました。 金太郎伝説の元となったのが大江山の鬼酒呑童子を倒したことで知られる坂田金時ですが、岡山の勝央町が終焉の地だとの伝承が地元には残っています。筑紫

          岡山と金太郎とキリスト教