エゼキエル書24章1節ー26節
「将来を生きる者」
日記を見返すと、あの日、自分がどこで何をしていたかを思い出します。エゼキエルが記す日付からは、今日の話が預言者として召されてから4年目のことだと分かります。4年もみ言葉を語れば、人々はそれなりに信仰的になれたでしょうか。いいえ。エルサレムは鍋にたとえられています。しかしそれは錆びた鍋で使えないのです。流血の町を神が何度もみ言葉を持って洗おうとしたのに、錆のようにこびりついた罪は決して落ちませんでした。
主はこの鍋に火をかけようとしています。バビロンの包囲