朱子学と儒教がもたらしたもの
先祖供養についてです。
神道でも「やらないといけない」と考えている人は多いでしょうが、
果たして本当にそうなのでしょうか。
義務として渋々やるくらいなら、先祖に失礼なので最初からやらないほうがよさそうです。
歴史を見る限り、仏教のみならず神道に先祖供養が組み込まれているのは、
朱子学、すなわち儒教の影響が強いと思われます。
朱子学は人を支配するためにとても便利な考え方です。
では、朱子学はどのように神道を変えたのでしょうか。
李氏朝鮮では朱子学が唯一の学問でした。
朝鮮出兵の捕虜として来日した姜沆がもたらした朝鮮朱子学が藤原惺窩に伝わり、
弟子の林羅山に受け継がれました。
姜沆は日本人を人扱いしませんでしたが、藤原惺窩は「信」(信義)は全ての人が有するものだと考えるなど、
教えに多少の変容はあったのでしょう。
林羅山は徳川時代の初代から4代までの将軍に仕え、
上下定分の理、つまり人間関係における上下関係は天の理であることを提唱し、
人は欲望を抑えて心身をつつしむべきだと主張しました。
徳川家の支配を盤石にするにあたり、林羅山の思想はものすごく都合がよいものです。
徳川時代が終わりを迎えた後、日本を支配しようとする集団は、
血筋を権威の根拠とする天皇が最高権力を持つ構造を考案しました。
もともと天皇は宗教的権威であったため、天皇の地位をより高めるため、
既存の神道に手を加え、トップダウンの国家神道を創始し、事実上の国教としました。
明治天皇は明治12年の教学聖旨により、自ら仁義忠孝を知識才芸より重視する考えを発表しました。
また、明治23年の教育勅語にて、明治天皇は「忠良ノ臣民」として、
「恭倹己レヲ持シ」、つまり人に対してはうやうやしく、
自分自身は慎み深く振る舞うことを求めました。
「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」に象徴されるように、日本国民は強く自己主張することなく、
公のために自らを犠牲にすることを、教育勅語により明確に下命されました。
このような支配が行われる前は、朱子学の影響を受けていない階級の日本人は、
思想的にはかなり自由な生活を送っていたのでしょう。