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亡骸として生きていく【上】〜国粋主義者が日本語で見る夢、江藤淳著『近代以前』を読んで〜

 著者は、近代以前の日本の文人を年代記的に列挙している。
 それは、江戸草創期、旧い様式と新しい様式のあわいで『排仏帰儒』の道を歩み、荒涼とし、また鬱勃とした心にあえぎながら、江藤がいうには「現実の公家と武家のいずれにも属さない“虚点”に自らを定め」俗世に生きた藤原惺窩の考察にはじまっている。

惺窩には他人というものがよく見えていた。彼は、生きるということが他人とともに生きることを強いられることであるという事情を見透していた。

江藤淳『近代以前』頁七十より

 惺窩は仏教的な無常観をあくまでしりぞける。
 そんな惺窩のもとに入門し、惺窩を批判しつつも彼の太い時代精神(儒学の正統)を引き継いだ朱子学者林羅山。彼は徳川幕府に仕え老荘・仏教を現実の敵とみなし、自らが“公の秩序の尸(かたしろ)”となる決意で、三代将軍家光の治世に『武家諸法度』の改定に参画し、道徳の根幹を社会に実現させ、江戸を中心とする古典主義文化の普遍化に礎石を置いたと江藤はいう。
 さらに江藤は、日本文学を総覧する広い視野で近松門左衛門や井原西鶴、上田秋成らの文芸を論じていく。

 江藤淳は自らを国粋主義者と公言して憚らない人物だ。著書に散見される乞丐厲人(こつがいれいじん)など差別的な言いまわしや、家柄だの格式だの門地が高いの低いのという表現は、たびたび登場する『血の正統性』という言葉と合わせまったく好意は持てない。だが、自分とは思想の針が真逆に振れるだろうこの著者に、強い共感を感じながら読書したのも事実だった。

 その「共感」の意味を少し考えたい。まず、不思議なことだが、その共感の正体を探ろうとすると、ぼやけた曖昧な霧の彼方に仕舞い込んだ「己(おれ)」が姿を現し、再び身の内に配置されるように感じるのだ。

 友人に感想を伝えた。
「この本にはねぇ」と紺色の表紙を手のひらで何度か叩きながら己は言った、「この本にはねぇ、言葉があって、その言葉から血が迸(ほとばし)って、その血の暴流を堰き止めたり、うねらせたりしながら文章が紡がれるんだよ」と。

 江藤は武士を“血腥(ちなまぐさ)い”といい、出世間的な老荘・仏教の無常観を嫌悪した。人間が利己心のかたまりであることを受容し、俗世間に現実復帰する孤独を知り、武士たちのスノビズムを蔑む。
 惺窩は藤原定家十二代目の孫という歌学の家柄、冷泉家の出という門地、自分の“血の正統”を生き、公家文化の優越性を信じ文治の理想を求める、そして江藤はそんな惺窩と共に生きようとするかのようだ。

 武士と交渉し栄えた仏教に対する忌避の姿勢は徹底している。
 仏徒を浮屠(ふと)とよび、仏徒は人倫を破戒し人肉嗜食(カンニバリズム)をするような奇怪なアウトロー集団で、また武士の本質は流民で、殺人者、首狩りの主役だというのだ。
 出世間的な老荘・仏教の思想にうつつをぬかすことは何より不毛で、寺から家へ、渾沌から秩序へ、孤独な「私」から他人と自分のあいだにある「公」の役割へ、欲望の解放からその抑制へ、あるいは自然から社会へ、または実在から理念へ、この相対を認めてこそ歴史における“正統”は見出されると江藤は考える。

頭を丸めて経を読んでいれば「出世間」が実現されるというのはふざけた話ではないか。誰がこの「世間」の外に出られるか。そんなことが幻想にすぎないのを、惺窩は誰よりもよく知っていた。

(頁七十一)

「でもな、読んでて武士や仏教を“血腥い”と嫌悪する江藤の思想に己(おれ)はどこか“死臭”が漂うのを感じるんだよ」と友にいい、冷たく暗いホームに列車が滑りこむのを腰掛けながら待っていた。

平安神宮参道

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