西森さん

高校教員の定年を機にエッセイを掲載することを決意。教育エッセイ「たかやんnote」、大学受験エッセイ「受験ノート」を掲載します。他にもジャンルを絞らずエッセイ書きます。多くの人に読んでいただければ幸いです。[発言は個人のもので所属する組織の意見ではありません]

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最近の記事

創#791「妻が植木鉢で、パプリカを育てました。リビングのテーブルに、栽培した赤いパプリカを置いてあります。妻にとって、このパプリカは、強烈な存在感を持っている筈です。ちょっと羨ましくなりました。自分もプランターで、ナスとかを育ててみたくなりました」

       「降誕祭の夜のカンパリソーダー536」 「深沢七郎の『楢山節考』の舞台は、山梨とか長野の山奥だと思うんですが、ああいう話は、このあたりの村にだってあったんですか?」と、私はマスターに訊ねてみた。 「小布施あたりから、千曲川を遡って、上田方面に向かうと、千曲川の西に、姨捨山(おばすてやま)という名前の標高1200メートルくらいの山がある」と、マスターが言った。 「知ってます。姨を捨てる山ってことですね。ですが、今昔物語では、一度捨てた姨を、もう一度、出向いて連れ

    • 創#790「小学生の頃は、自然の中で遊び、中学時代は音楽に夢中になり、高校の3年間は、文学とアートと映画にのめり込む。ITは、大学生になってからでも、充分、間に合うと思います」

            「降誕祭の夜のカンパリソーダー535」 「石を投げる水切り遊びは、オレもやった。平たい石で水が切れるのは当たり前だ。平たくない平凡な石の塊で、水を切れる奴が賞賛された」と、私はYに言った。 「水切り遊びというのは、平たい石を投げて、水面を何度かジャンプさせる遊びだな。ここらは、川幅が狭かったから、自分たちはそういう遊びはしてない。それに、夏も水が冷たいので、川で泳ぐこともなかった。山奥の村では、川遊びは充分に楽しめない」と、マスターは率直な口調で言った。 「川釣

      • 創#789「小学生の頃、笹の葉の斜面を段ボールにのっかって、滑り降りました。スノボーをやったことはないんですが、笹の葉の斜面滑りより、面白いとは思えません。小学生の頃は、自然の中で、遊ぶべきです。塾なんか、行ってる場合じゃないぞって気は、やっぱりします」

               「降誕祭の夜のカンパリソーダー534」 「山の奥のホテルは、スキー客のために、建設された。自分が東京でサラリーマン生活をしている頃に、いつの間にか、スキー場とホテルができていた。子供時代、そこらの山の斜面で、竹でスキーを拵えて滑っていた。木の枝を、スティック代わりにしていた」と、マスターが切り出した。 「私の故郷は、子供の頃、年に1、2回、ちらっと雪は降りましたが、積もったことはないです。ですから、雪がどれくらい滑るのか、実体験として理解できてません」と、私が

        • 美#171「図書室の司書の先生が、読書は二十歳までが勝負ですよねと、仰っていました。まあ、確かにそういうとこはあります。山は、小学生の頃に見たり、関わったりした山が、すべてじゃないかって気がします」

                      「アートノート171」  私が学生の頃、時々、訪れていた山種美術館は、茅場町の山種証券本社ビルの8、9階にあった。本社ビルは、1966年に建設され、その時、山種美術館もopenした。私が通っていたのは建設後、10年ぐらい経た頃。本社ビルが老朽したという理由で、1998年に千代田区に仮移転し、2009年に広尾に新築された新たな建物で、現在の山種美術館は、スタートした。1998-1966=32年。わずか、32年で、新築のビルが老朽化した勘定になる。別段、

        • 創#791「妻が植木鉢で、パプリカを育てました。リビングのテーブルに、栽培した赤いパプリカを置いてあります。妻にとって、このパプリカは、強烈な存在感を持っている筈です。ちょっと羨ましくなりました。自分もプランターで、ナスとかを育ててみたくなりました」

        • 創#790「小学生の頃は、自然の中で遊び、中学時代は音楽に夢中になり、高校の3年間は、文学とアートと映画にのめり込む。ITは、大学生になってからでも、充分、間に合うと思います」

        • 創#789「小学生の頃、笹の葉の斜面を段ボールにのっかって、滑り降りました。スノボーをやったことはないんですが、笹の葉の斜面滑りより、面白いとは思えません。小学生の頃は、自然の中で、遊ぶべきです。塾なんか、行ってる場合じゃないぞって気は、やっぱりします」

        • 美#171「図書室の司書の先生が、読書は二十歳までが勝負ですよねと、仰っていました。まあ、確かにそういうとこはあります。山は、小学生の頃に見たり、関わったりした山が、すべてじゃないかって気がします」

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        記事

          創#788「キースリチャードは、13歳の時、ラジオから流れて来た、チャックベリーの「ジョニーBグッド」を聞いて人生の枠組みが、一瞬にして定まったそうです。残念ながら、私にはそういう経験はなくて、平凡な人生でした。が、平凡だからこそ、結構、幸せだったってことなのかもしれません」

                 「降誕祭の夜のカンパリソーダー533」 「そもそも、君たちは何故、ミサ曲を歌おうと考えたんだ」と、マスターが訊ねた。 「自分は、クリスチャンではありませんが、キリスト教の教会には、時々、行ってます。ミサも経験したことがあります。ただし、プロテスタントの教会です。カトリックの教会のミサは未体験です。が、カトリックの知り合いに話を聞くと、プロテスタントのそれと、さして変わらないと言ってました。まあ、これは、やはり日本だからです。プロテスタントの教会だって、本格的な

          創#788「キースリチャードは、13歳の時、ラジオから流れて来た、チャックベリーの「ジョニーBグッド」を聞いて人生の枠組みが、一瞬にして定まったそうです。残念ながら、私にはそういう経験はなくて、平凡な人生でした。が、平凡だからこそ、結構、幸せだったってことなのかもしれません」

          創#787「漱石は、49歳の時、胃潰瘍で、逝去しましたが、甘い物の食べ過ぎです。甘い物を食べ過ぎて、さして動かなければ、何らかの生活習慣病で、早々と命を奪われてしまいます」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー532」 「意味が判らなくて、歌えるのか?」と、マスターが、訊ねた。 「歌えます。論語・孟子の素読だって、最初は意味が判らなくても、何十回か繰り返し、声を出して読むことによって、意味は判って来る筈です。それと同じです」と、私が返事をすると 「いくら何でも、君たちの年齢で論語・孟子の素読は経験してないだろう」と、マスターは即座に切り返して来た。 「自分は中学、高校時代、国語の授業で論語を読んだくらいです。『朋あり。遠方より来たる。

          創#787「漱石は、49歳の時、胃潰瘍で、逝去しましたが、甘い物の食べ過ぎです。甘い物を食べ過ぎて、さして動かなければ、何らかの生活習慣病で、早々と命を奪われてしまいます」

          美#170「もう残念ながら、なくなってしまいましたが、『江戸から東京へ』という授業を担当して、江戸時代のことを、学びました。江戸時代が、幸せな時代だったということを、はっきりと認識しました。何故、幸せなのか、理由はいろいろ有りますが、大きな理由のひとつは、毎日、三万歩くらいは、歩いていた事です。郷里の土佐に帰る時、できれば歩いて帰りたいとすら、私は、本気で思っています」

                       「アートノート170」  11月上旬の平日、上野に出かけた。8月のお盆の頃、デ・キリコ展を見るために、上野に出かた時は、上野公園には、さほどの人影もなく、じりじりと熱い日差しが、公園の舗装した大通りに照り付けていた。強烈な猛暑日には、外出を控えるのが、異常気象時代の新常識なのかもしれない。  11月初めの過ごし易い気候の上野公園には、人があふれていた。駅の近くにあるチケット売り場には、長蛇の列ができていた。チケットを購入した、多くの人が、国立博物館

          美#170「もう残念ながら、なくなってしまいましたが、『江戸から東京へ』という授業を担当して、江戸時代のことを、学びました。江戸時代が、幸せな時代だったということを、はっきりと認識しました。何故、幸せなのか、理由はいろいろ有りますが、大きな理由のひとつは、毎日、三万歩くらいは、歩いていた事です。郷里の土佐に帰る時、できれば歩いて帰りたいとすら、私は、本気で思っています」

          創#786「ビブリオバトルの全国大会に進出した高校生のバトラーが選んだ、本のリストを、今日、図書室で見ました。日本の近代文学の古典は、『人間椅子』と『斜陽』二つのみ。『斜陽』は判りますが、江戸川乱歩の『人間椅子』を本当に今の高校生が選ぶんだろうかと、不思議です。ちなみに、選んだのは高2のJKです。青森県代表でした」

                「降誕祭の夜のカンパリソーダー531」 「清涼飲料水の自販機が、青少年の健全・育成を図るためのツールだとは、もちろん考えてない」と、マスターは不承不承と言った口ぶりで応じた。 「ホテルのロビーにも自販機は設置されてます。この店に入る時に、ちらっと自販機の価格を見ましたが、ホテルよりは安いです。というか、ホテルの方が高すぎるんです」と、Yが口を挟んだ。 「オレ自身は、清涼飲料水は飲まないが、結構、みんな買ってる。大学にもあっちこっちに自販機は設置されている。清掃を

          創#786「ビブリオバトルの全国大会に進出した高校生のバトラーが選んだ、本のリストを、今日、図書室で見ました。日本の近代文学の古典は、『人間椅子』と『斜陽』二つのみ。『斜陽』は判りますが、江戸川乱歩の『人間椅子』を本当に今の高校生が選ぶんだろうかと、不思議です。ちなみに、選んだのは高2のJKです。青森県代表でした」

          創#785「若い頃、アメリカから、一時、日本に帰って来た人と喋っていて、アメリカでは、野菜などは、たいして食べず、必要な栄養素はサプリメントで補っていると聞いて、驚きました。半世紀後の日本も、まあ多少は、似たような雰囲気になっています」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー530」 「国の減反政策で、田んぼを作らない農家も増えてる。味は落ちるが、タイ米とかカリフォルニア米を買った方が、はるかに安価だ。新鮮野菜を輸入することは、今のとこ無理だが、その内、アメリカと同じように、サプリメントを飲めば、それで充分だってことになる。東京の郊外にだって、作ってない田んぼや畑は沢山ある筈だ。そういう土地を借りて農業をやれば、自然は取り戻せる。サツマイモとかなら、簡単に栽培できる。戦後の食べ物のない時代、空き地が

          創#785「若い頃、アメリカから、一時、日本に帰って来た人と喋っていて、アメリカでは、野菜などは、たいして食べず、必要な栄養素はサプリメントで補っていると聞いて、驚きました。半世紀後の日本も、まあ多少は、似たような雰囲気になっています」

          創#784「私は、古典はずっと読み続けて来ました。所属している朗読サークルでも、源氏物語を読んでいます。それは、つまり歴史と自然とを、常に心の中に、keepし続けたいからだと、自分では思っています」

                 「降誕祭の夜のカンパリソーダー529」 「東京には、ちみもうりょうがいないので、心が鍛えられるってことがなくて、安直に自死する、そういうことですか?」と、私はマスターに訊ねてみた。 「心を鍛えるという発想が、正直、良く判らない。心を鍛えなくても、自然に生きて行けるだろう。そもそも、心をどういう風に鍛えるんだ」と、マスターが訊ねた。 「ちみもうりょうに出会っても、怖れたり、逃げたりせず、友好関係を結ぶことができたら、心は鍛えられて、レベルアップできると思いますが

          創#784「私は、古典はずっと読み続けて来ました。所属している朗読サークルでも、源氏物語を読んでいます。それは、つまり歴史と自然とを、常に心の中に、keepし続けたいからだと、自分では思っています」

          美#169「子供の頃、日曜日の露天市で売っていた竹の子寿司が好きでした。旬は5月の中旬です。地味で質素な食べ物が、多分、今でもmy favorableです」

                       「アートノート169」  福田平八郎展は、入ってすぐの所に「筍」の絵がdisplayしてあった。この絵は、戦後の昭和22年に制作されている。福田平八郎は、戦争中、ずっと人目のつかない竹林で写生をしていた。竹林そのものは、whenever、いつだって、そこに存在するが、筍となると、旬のものなので、時期が限られる。筍は、日に日に、すんすんと伸びて行く。絵になるjustの筍には、一年に1日か2日くらいしか、出会うchanceはない。戦後の昭和22年、よう

          美#169「子供の頃、日曜日の露天市で売っていた竹の子寿司が好きでした。旬は5月の中旬です。地味で質素な食べ物が、多分、今でもmy favorableです」

          創#783「二人で歩く時は、ちみもうりょうは出現しません。一人で歩いている時は、ケースバイケースで、出て来ます。これは、やはり自己の脳内で作り出している妄想なのかもしれません(私は、そうは思ってませんが)」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー528」  二人はようやく、山径の登り口にあった、よろず屋に到着した。店に入ると、初老のマスターが 「いらっしゃい。山の上のホテルから来たのか?」と、我々に声をかけた。 「ええ、相方がどうしても氷砂糖を買いたいと言うので、散歩がてら歩いて山を下りて来ました」と、私が応じると 「運動部の学生か?」と、マスターは訊ねた。 「いや、合唱サークルです。が、ちゃんと歌うためには、運動部の学生ほどではないですが、この山径を往復するくらいの体

          創#783「二人で歩く時は、ちみもうりょうは出現しません。一人で歩いている時は、ケースバイケースで、出て来ます。これは、やはり自己の脳内で作り出している妄想なのかもしれません(私は、そうは思ってませんが)」

          創#782「35歳の冬、部屋が焼けて、家財道具を一切失った時、火事の火元の男性にも、家主にも一切、賠償などは請求しませんでした。欲がないと言えば、まあそれはそうなんですが、ゴタゴタすることによって、エネルギーと時間をかけることが、嫌だったんだろうと判断しています」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー527」 「公案と言うのは、一体、何なんだ?」と、Yが訊ねた。 「形而上学的な問題のことだ。お釈迦様が仰った『無』について、考えるのが、最初の問題ってケースが一番多い」と、私が言うと 「無なんだから、考えられないだろう?」と、Yが応じた。 「オレは、公案を貰ってないし、本当の所、突き詰めて考えたことはない。が、坐禅をしていると、ちみもうりょうに取り巻かれる。このちみもうりょうを消滅させるためには、どうしても、無を体得しておく必要

          創#782「35歳の冬、部屋が焼けて、家財道具を一切失った時、火事の火元の男性にも、家主にも一切、賠償などは請求しませんでした。欲がないと言えば、まあそれはそうなんですが、ゴタゴタすることによって、エネルギーと時間をかけることが、嫌だったんだろうと判断しています」

          美#168「子供の頃、柿は好きでした。野生の柿を、少々、渋くても食べていました。今は、柿が実っている景色を見るだけで、充分です。美味な紅茶は飲みたいと思いますが、食べ物に関する欲は、もう、ほぼ無くなってしまいました」

                      「アートノート168」  山種美術館の福田平八郎展で、唯一、写真撮影が許可されていたのは、昭和18年に制作された「彩秋」。Autumn Leavesと、英語のタイトルもついているが、描かれているのは、柿の葉の紅葉と、ススキの穂。福田平八郎は、まず、色が瞼に焼き付いて、その後、形や線が見えて来るらしい。私は、どういう風にモノが見えて来るのかを、真剣に考えたことがない。ふと気がつくと、何となく見えている。  柿の紅葉は、子供の頃、数え切れないほど見ている

          美#168「子供の頃、柿は好きでした。野生の柿を、少々、渋くても食べていました。今は、柿が実っている景色を見るだけで、充分です。美味な紅茶は飲みたいと思いますが、食べ物に関する欲は、もう、ほぼ無くなってしまいました」

          創#781「セイヤ、ソイヤのかけ声で神輿を担いでいるsceneを見かけますが、セイヤ、ソイヤで、本当に力が出せるのか疑問です。神輿は、やっぱりわっしょいで、担ぐものだと、私は確信しています」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー526」 「禅寺では、音楽はないのか?」と、Yが訊ねた。 「楽器を使った音楽は、存在してない」と、私が言うと 「じゃあ、アカペラの歌はあるのか?」と、Yは、すかさず切り込んで来た。 「歌はない。お経は、般若心経のようなものは読む。四弘誓願だって唱える。が、それを音楽だとは言いにくい」と、私は返事をした。 「歌がないと、日々の生活はhappyにならないんじゃないのか?」と、Yは合唱サークルの部員っぽいことを言った。 「禅寺では、悟

          創#781「セイヤ、ソイヤのかけ声で神輿を担いでいるsceneを見かけますが、セイヤ、ソイヤで、本当に力が出せるのか疑問です。神輿は、やっぱりわっしょいで、担ぐものだと、私は確信しています」

          創#780「飲みかけのウィスキーのボトルを見て、『もうこれしか残ってない』と嘆く男と、『まだこれだけ残っている』と、わくわくできる男のたとえ話を、後輩記者に語ったのは、深代惇郎さんです。天声人語は、深代さんがお書きになっていた頃が、一番、格調が高かったと思います」

                  「降誕祭の夜のカンパリソーダー525」 「それは、高尾山に登るのに、ロープウェイを使うのか、ふもとから山径を苦労して歩くのかの違いだな。苦労するってことと、御利益は、まったく別種のものだと、おそらく多くの人が考えている」と、Yが言った。 「苦労は、自分自身の経験で、御利益は、他者が自分に与えてくれるものだな。自分と他者とをまったく別個のものだと考える、それは西欧的な個人主義だ。自分と他者とが、お互い、縁もゆかりもないものであれば、両者の絡みはない。が、自分と

          創#780「飲みかけのウィスキーのボトルを見て、『もうこれしか残ってない』と嘆く男と、『まだこれだけ残っている』と、わくわくできる男のたとえ話を、後輩記者に語ったのは、深代惇郎さんです。天声人語は、深代さんがお書きになっていた頃が、一番、格調が高かったと思います」