瀧波一誠 2018年12月10日 07:41 江戸初期の儒学者、林羅山。肖像画は総じて僧の姿ですが、彼は僧ではありません。当時武士に仕える文官は僧というしきたりがあり、僧体になることを命じられたのです。実は彼は、京都で学んだ際、僧体が嫌で寺を脱走したほどの坊主嫌い。我慢の代償として林家は江戸時代を通じ栄えるのですが…。 いいなと思ったら応援しよう! サポートは、資料収集や取材など、より良い記事を書くために大切に使わせていただきます。 また、スキやフォロー、コメントという形の応援もとても嬉しく、励みになります。ありがとうございます。 チップで応援する この記事が参加している募集 #とは 60,828件 #コラム #歴史 #とは #日本史 #雑学 #江戸時代 #江戸 #雑学メモ #朱子学 #林羅山 43