『異人たち』 心の処方箋のような映画だった。 癒されました。 ⭐︎
インチュニブとストラテラを併用して飲み始めてだいたい1年経っただろうか…? すぐ忘れちゃうので…何かで調べないとだけど… インチュニブとストラテラを続けて今の感想は 仕事での失敗が減った 仕事中の気の動転が減った (前より)落ち着いて考えられる とても良い傾向だと思う
頭の中がパンパンに感じる時って、 きっと本当にぎゅうぎゅう詰め。 考えるのも感じるのも、大切だけど、 なんにも考えない時間も大切です。 目の前のものをぼーっと眺めるだけ。 風の音をただ感じるだけ。光の暖かさを、ただ感じるだけ。 そんな時間を意識して作っていこう。
仕事で寝食忘れたSNSの隣人の状況をみて自分まで「しんどいな」「辛いな」と思うことがある。私の働き方本棚、向上系の自己啓発ではなくておだやかコーナーからあなたへの処方箋です。 私にはまだ至らぬコトバとギフト、コトバのギフトしかできませんが、今夜こそはおだやかな心が作れますように。
「運命が決まっていたとしても、その運命の生き方によって、全くその人生は異なるものになる」河合隼雄さんの言葉がずっと心に残っている。同じ事実が起きたとしても、どう捉え生きていくかによって、人生は大きく変わると思う。捉え方は自分次第。いつだってワクワクする方を選んでいきたい。
あー確かにと思う一文が。「今まで自分の心を支えてきてくれた基盤が、実はたましいという存在の上にのしかかって重荷になっている。」私のたましいの重荷は何なのか考えてみたくなった。
依存を排して自立を急ぐ人は、自立ではなく孤立になってしまう。
己を殺していることが、知らぬ間に他人を殺すことにつながってくるので困ってしまう。とすると、己を殺すよりも己を生かすことに努力すべきだということになろう。しかしこれも話はなかなか簡単にはいかないのである。己を生かすことによって他人をも生かすことを考えればよいことはわかっているのだが
「ものごとは努力によって解決しない」というのは、私の好きな言葉である。子どものためにできる限りの努力をした、などという人に会うと、この人は、解決するはずのない努力をし続けることによって、何かの免罪符にしているのではないか、と思わされることがある。
これも存外難しい。己を生かそうと思って、自分のしたいことをすると、それこそ「勝手者」だということになりかねない。特にわが国では、他と協調すること、他と変わったことをしないこと、が尊ばれているので、……ついつい自分を殺す生き方を選ぶのではないだろうか。
しかし、ある個人の存在が深くかかわってくるとき、そこには、同じことは起こらなくなってくるし、まさにそのときに、その人にのみ通じる正しいことが要求され、それは、一般に人が考えつく、100%正しいこととは、まったく内容を異にするのである。
これは、1回目の時には、相当に自分を賭けて言っているのに、二回目になると、前のようにうまくやってやろうと思って、慢心が生じたり、小手先のことになって、己を賭ける度合が軽くなっているために、うまくゆかないのである。