善か悪かの判断は現実からの逃避である。 物事は「善でも悪でもない」あるは「善でも悪でもある」 どちらか一方に見えたのなら、それは現実からの逃避である。 しかし、逃避とは「善悪の彼岸」への渡航でもあり、 それは「現実」を外へ押し広げることでもあるから、 「逃避」も立派な現実の内だ。