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ティーガー戦車異世界戦記 ~小さな希望を紡ぐ姫と鋼鉄の王虎を駆る勇者 #19

第18話 約束の地


 息絶えた鋼鉄の王虎を悼む心が簡単に消える訳ではない。
 だが、魔族達は生き続けてゆかねばならなかった。悲しみに囚われて生きるばかりではいけない……かつて王姫が生死を彷徨い魔物達が悲嘆に暮れていた時、少年が諭したように。
 それでも王虎の傍から離れ難かった魔物達は、そのままそこを宿営地として森を探索して回った。
 そして数日が経ち……

「アリスティア様、ここは素晴らしいところですよ」

 長旅に疲れた王姫は魔物達に乞われるまま静養していたが、そこへもたらされる知らせは素晴らしいものばかりだった。

「森の奥に泉がありました。川の水はとても綺麗で魚もいます」
「木の実がたくさん成っています。試しに食べてみましたがどれも美味しいものばかりでした」
「お湯の出る泉がありました。湯浴みが出来るくらいの熱さでした」
「食べられる草や草の実がありました。食べきれないくらい」
「広い葉を抱えた大木が群れていました。雨が降っても少しも濡れません」

 旅路の中で苦難を味わった彼等には信じられないような自然の恩恵の数々だった。

「テツオ、聞いた?」
「よかったね! 休めるばかりか水も食糧もこんなに……」
「ティーガーはこんな素晴らしい場所まで私達を連れてきて、息を引き取ったのね……」

 アリスティアはティーガーを振り返り、ドレスの袖でそっと涙を拭った。
 砲身を下に向け擱座した鋼鉄の王虎の姿は、満足して力尽きた守護神のように見えた。砲口のマズルブレーキには花輪が掛けられている。魔物の子供達が時折花を摘んで、王虎を慰めてくれているのだった。
 少年も今はだいぶん落ち着き、アリスティアの言葉を聞いている。
 だが、その表情は浮かなかった。

「今までこんな森に一度も行き当たらなかった。小さなオアシスとか川ぐらいしかなかったのに……」

 首を傾げた少年は「不自然じゃないかな?」と、疑いの目で周囲を見回した。

「テツオ様は何か不審に思えますか?」

王姫の傍らに控えていたメデューサ婆が驚いて口を挟むと少年は「だってさ」と、つぶやいた。

「恵まれすぎてる。何か出来過ぎている気がするんだ。もしかしてチート勇者の仕掛けた罠じゃないかって……」
「……」

 アリスティアとメデューサ婆は顔を見合わせ微笑んだ。苦しいことや悲しいことが多すぎると、巡り合った幸運すら偽りのように疑ってしまうものらしい。

「テツオ、心配しすぎだわ。ここは大丈夫よ」
「そ、そうかな」
「私たちを陥れるような意図は感じないわ」

 そこは異世界の魔を統べる王姫である。魔力を持たない少年が知らないうちに森の中の気配を探り、警戒するくらいのことはしていた。
 だが、彼の決まり悪そうな顔を見たアリスティアは慌てて「でも今までのことを考えたらテツオが用心するのも当然だわ。ありがとう」と宥めた。メデューサ婆も「笑って済む話ですし」と取り繕ったので少年は頭をかいて照れくさそうに笑った。
 だが、その笑顔はどこか寂しげだった。アリスティアは顔を曇らせる。
 前に一度、自分が彼を拒絶してしまった時に同じ表情を見たことがあった。そのとき彼は言い訳もせず、別れを告げて去っていった。

「あ……」

 気がつけば、彼がどこかへ行こうとしている。アリスティアは思わず彼のマントの裾を掴んでしまった。

「テ、テツオ……どこへ行くの?」
「泉へ水を飲みに行こうと思って。美味しいって聞いたし」
「そ、そう……」

 引き留めたアリスティアを少年は怪訝そうに見た。

「どうかしたの?」

 貴方がどこか遠くへ行ってしまいそうで怖かったの……と言えるはずもなくアリスティアは黙って俯いた。それでも掴んだ手が離せない。

「一緒に行く?」
「……ええ」

 もしかしたらお別れの時が近いのかも知れない……アリスティアの胸にそんな不安が兆した。
 ……その時、自分に引き留めることは出来ない。この地を離れて彼を追うことも出来ない。
 彼も、愛していると告げた自分の想いに何も応えてくれないまま。
 それが、別離の時に未練を残さぬよう何も言わず黙っているからだとしたら……

(彼が別離を決めたなら、そのときは笑って見送って……)
(でも今は。せめて今だけは……)

 「時々足がふらつくから」と彼の腕にしがみつくと押し付けられた柔らかな胸の膨らみに少年は顔を真っ赤にした。「じ、じゃ、行こうか……」と、ロボットのようなぎこちない足取りで歩き出す。
 も泣き出しそうなアリスティアの顔を見たメデューサ婆はしばらくの間二人だけにしてやろうと思ったのだろう、黙って見送った。
 最初は腕にかかる幸せな感触にだらしなくニヤけていた少年だったが、アリスティアの様子に何かを感じ取ったのかその顔は落ち着いた、しかし寂しそうな表情へと変わっていった。
 太く逞しくはなかったが少年の腕は温かかった。

(ずっとこうしていられたらいいのに……)

 掴まって歩いているうちに酸のように熱い涙が目に溢れ、視界が滲んで何も見えなくなった。
 少年は俯いたまま、何も言わない。
 王姫の長い髪をなびかせ風が吹き抜けてゆく。新緑の匂いに混じって微かな花の香りがした。

 そして。
 別離は王虎の死よりももっと思いも寄らぬ形で、だが彼女自身が望みながら望めぬと思っていた「願い」を携え、訪れたのだった。

**  **  **  **  **  **

 森へ滞在し一週間が経った。

「風光明媚。こんな良いところは私らがいた王国にもなかなかございませんでした」
「本当に。居心地も良いし皆すっかり元気を取り戻しました」

 王姫の御座所とした森の一角で、メデューサ婆がつぶやくとドルイド爺も相槌を打つ。
 ひとときの安らぎを得た彼等は今までの旅の苦しみをすっかり癒し、今も御座所から少し離れた場所でくつろいでいた。子供達は追いかけっこなどして楽しそうに遊んでいる。
 アリスティアはその様子を見つめ「ええ、その通りね」とうなずいたが、それでも此処を安住の地には出来なかった。

「だけどチート勇者が現われる危険が少しでもあるなら、ここもいつまでもいることは出来ないわ」

 しかし、ここを出てまた旅を続けたとしても安全な場所などどこにあるというのだろう。チート勇者に出会って戦いになっても彼等の守護神、鋼鉄の王虎はもういない。
 ドレスの上に置かれた手がキュッと握りしめられるのを見たドルイド爺は「まぁ、しばらくは大丈夫ですじゃろ」と、慰めるように言った。

「そうね……」

 いつ襲われるか知れぬ恐怖に怯えながら、希望の見えない旅をいつか始めねばならない。臣下の魔物達にそれを告げた時、彼等はどんなに辛い思いをするだろう……
 アリスティアはそんな辛さを押し隠して「もうしばらく、のんびりしましょう」と、笑顔を作ろうとした。
 しかし、笑うことが出来なかった。涙が出そうになってしまった。

(いつも苦しみに耐えて、怯えるばかり……いつまでこんな日々が続くのだろう)

 アリスティアの心中を察したメデューサ婆とドルイド爺は顔を見合わせる。
 しかし、彼等も同じ思いだった。
 暗い顔で黙り込んでいると少年が「ここにしばらくいるっていうならさ」と、言い出した。

「ピクニックに行かないか?」
「ピクニック?」
「一度みんなで森を散策して回らないかってことだよ。僕も元気になれたし」

 先の見えない不安に囚われているより、今のささやかな幸せを大切にして希望を持とう……少年は言外にそう言っていた。
 この先に待つであろう苦難がそれで解決する訳ではなかったが、気が晴れるならとメデューサ婆達は「それはいいですのう」と賛成した。

「そうね、みんなで一緒に回りましょうか」

 ようやく小さな笑顔を取り戻したアリスティアがうなずくと、さっそくメデューサ婆から魔物達に触れが出された。
 そして……

「アリスティア様、リアルリバーの魔族は皆ここに揃いましてございます」

 翌朝。魔族達はティーガーの前に整列して王姫の出座を待った。

「そんなにかしこまらないで。今日はみんなで、この森で遊びましょう」

 アリスティアは笑顔で手を振り、ドルイド爺が「そういうことじゃ。さ、行こうかのう」と、のんびり声を掛ける。魔物達はホッとしたように隊列を崩し、ぞろぞろと歩き出した。
 子供達はアリスティアの周囲に集まり、王姫はさながら幼稚園の先生といった態で彼等を引率し歩き始める。
 少年が剽軽な物腰でゴブリンの子を抱き上げ「よーし、肩車してあげよう」と肩に乗せると、魔物の子らは「あ、僕も僕もー」「抱っこしてー」と彼の周囲でじゃれつきだした。
 アリスティアは心配そうに「テツオはまだ怪我がちゃんと治ってないんだから、あんまりワガママを言ったら駄目よ」と叱ったが、少年は「これくらいもう平気だよ」と笑った。

「無理しないでね。でも、ありがとう」
「どういたしまして」

 肩車したまま踊るような足取りで少年が「ほら、みんな置いてゆくぞー」と歩き出すと、子供達はキャッキャッとはしゃぎながら追いかけてゆく。後をゆくアリスティアや魔物達は微笑を誘われた。

「うん、いいピクニック日和だ」

 それはまったく気持ちのいい日だった。
 暑くも寒くもなく、時折気持ち良い風が吹いて彼等を爽やかな気持ちにさせてくれた。
 森の木洩れ陽は優しく大地へ降り注ぎ、木々の枝に止まって小鳥たちがさえずる。
 陽光を求めて伸びた草が風にさやさやと鳴り、育ちゆく緑の喜びを歌った。
 陽を浴び、風を受け、鳥の歌を聞くうちにアリスティアの憂鬱も少しづつ晴れてゆく。

「そうだ、草笛を鳴らしながら行こう」

 少年は傍らの草を摘むと丸め、すぼめた口に咥えるとピーと鳴らした。子供達の眼が驚きと喜びに輝き、口々に「作り方を教えて!」「僕にもちょうだい!」と、せがんだ。
 やがて、草笛の作り方を教えられた魔物の子らが吹く音を伴奏に、川に沿って一行は歩きだした。流れる川のせせらぎに陽光が反射してきらきらと光っている。恵み豊かな季節の喜びに光が踊っているようだった。
 木立を抜けると崖に突き当たり、泉があった。
 ここでお昼にしようということになり、一行は冷たい泉の水で喉を潤し、木々の枝に実った果実をもいだ。更にグリズリーが川へ入って何匹かの魚をすなどったので、枯れ木を集めてそれを焼く。
 お腹を満たすと魔物達は眠気に誘われ、思い思いに横になった。
 少年が木陰で軽くいびきをかきだすと、アリスティアはこっそりと傍らに寄り添って目を閉じる。魔物達は二人をそっとしておいてくれた。
 そのまま軽く午睡を取り、目を覚ますと今度は方角を変えて一行は歩き出した。

「なんて深い森。歩いているだけで心が澄み切ってゆくようだわ……」

 森の中の光景は本当に素晴らしいものだった。
 魔物達は、森の中を歩くうちに樹々と溶け合い一体化するような感覚をおぼえた。木々の葉の隙間から降り注ぐ光条は神秘の力に満ちている。彼等は魔力が身体の中に健やかに満ちてくるのを感じた。
 そればかりではなかった。静寂に思えた森の中には、たくさんの音も満ちていた。それらの音は少しも耳障りではなかった。虫の鳴く音、小動物がかさこそと走る音、木の葉を優しく揺するそよ風。空気には花の香りと草の匂いが心地よい調和で混じり合っている。
 そして……

「おお……!」

 木立を抜けると彼等は思わずどよめき、立ち尽くした。
 そこには見渡す限りの草原が広がっていた。それもただの草原ではなく、花園のようだった。草に混じって色とりどりの美しい花々が咲き乱れている。木々があちこちにぽつり、ぽつりと立っていた。若木も老木もあり、蔦が絡まって甘く爽やかに香る白い花を咲かせていた。蜜を求めて羽虫が戯れている。
 やわらかな陽光はいつまでも空に留まり、虫の羽音や鳥の囀りがあふれ、吹き渡る風までが嬉し気にささやきながら木々の梢をざわめかせて去ってゆく。

「こんな場所が……」

 誰もが言葉を失い、異世界の果てにこんな美しい場所があったのかと見惚れるばかり。
……どれくらい、そうしていただろう。
 心を奪われたように立ち尽くす魔物達の中で、それを最初に言ったのは誰だったのか。

「楽園……」
「もしかして……ここが?」

 最初はささやくような、戸惑うような声が、次第に歓喜の声へと膨れ上がってゆく。

「きっとそうだ。亡き魔王様がアリスティア様へ告げられたという約束の地……」
「西の果てにある最後の楽園……ここだ……そうに間違いない!」

 アリスティアは、ぼう然となった。

(そんな……私の嘘だったはずなのに……)

「アリスティア様!」
「アリスティア様! きっとここが……そうでしょう?」
「とうとう辿り着いたんですね。約束の地に!」

 こここそが約束の地だと誰もが思った。
 ただ一人を除いて。
 高まってゆく歓喜の声に彼女の身体が震えだした。

「……違うの!」

 口々にあげる魔物達の喜びの声を遮るように、アリスティアは絶叫した。

「嘘だったの……」
「え?」
「お父様は約束の地なんて私に言わなかった。安心して住める場所なんて私、本当は知らなかったの」

 良心の呵責に、これ以上耐えられなかった。

「姫様……」
「どこにも希望がないなんて言えなかった。私、みんなを騙してこんな地の果てまで……」

 そのままぺたりと座り込み両手で顔を覆うと、彼女はしわがれた声でついに真実を告げた……自分の掲げた希望が偽りだったのだと。

「まさか……」
「そんな……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」

 哀しい嘘で紡ぎ続けた希望だったという王姫の告白に魔物達は絶句し、さながら石と化したように硬直した。
 ところが。

「……いいえ、嘘ではありませんよ」

 静かな――
 しかし、よく響く落ち着いた声が、王姫の告げたはずの真実を否定した。



次回 第19話「見捨てられた異世界の片隅で」


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