人を傷つけないためにつく小さなうその事を、ホワイトライというらしい。 自分を傷つけないためにつくとっさの小うそは、グレーライといったところでしょうか。 やさしくなりたい。やさしくなりたい。むなしさばかりじゃ。
「いい意味で、あきらめる」という昨日の言葉は嘘だったのかもしれない。なぜなら今とても気分がよくないからだ。ポジティブに何かをあきらめられたのなら、もう少しすっきりとした気持ちになっているのではないか。自分の言葉でも自分が知らない力を持つことはあるけれど、それでも嘘はわかるらしい。
嘘つかない人はいない。自分を守るためか目的を果たすためか嘘は泥棒の始まり。中途半端な嘘が人を傷つけるからすぐばれる嘘か絶対にばれない嘘がいい。起きた事実一つにつき人の見方の数だけ真実が生じるから互いに信じすぎず疑いすぎず。人は神でないから心変りもある。信じるも信じさせるも難しい。
昨日は、嘘を書いてしまったかもしれないとつぶやいたが、そうでもないというか、嘘ではあるのかもしれないのだが、そうであってほしいと思って書いたことで結果的に嘘になってしまったのではないか、と思うに至った。書いたことのようであればいいと思っていたのだ。つまりはその嘘は私の希望だった。
嘘をつく代わりに近いことばかな賢い人の公の知恵
論理破綻王さんもなんか可哀想な存在だな?メディアに持ち上げられて、ディベートの意味をよく知らないで、ネットで齧った浅い知識を披露して、信者に唆されて、論破されたらすぐ逃げてしらばっくれたり。まぁ大抵が自分自身の言動が原因だけど、よくまあ懲りないなぁと思う。オジサンもう休め?