【本当の大人なんているんですか】私も大人って呼ばれるけど
答えなんて、全然わからない(^^;
目に見えるものが、真実とは、限らない。
何が、本当で。
何が、嘘か。
素直とは、疑うこと。
私たちの周りに、「真実」は、溢れ返っている。
存分に、疑おう。
「うそ」谷川俊太郎(著)中山信一(イラスト)
うそはほんとによく似てる
ほんとはうそによく似てる
うそとほんとは双生児
うそはほんととよくまざる
ほんとはうそとよくまざる
うそとほんとは化合物
うその中にうそを探すな
ほんとの中にうそを探せ
ほんとの中にほんとを探すな
うその中にほんとを探せ
(谷川俊太郎さんの詩「ほんととうそ」より)
色々な人が、色々な嘘を、ついている。
誰の日記にも、嘘は、ある(四季)。
「詩は本当のことを嘘のように作るものだ」
詩人である萩原朔太郎の言葉。
作者の内的真実を、革新の技巧を駆使して、ひとつの虚構の物語のように構築する。
それが詩という表現である。
そんなふうに、解釈して、いいのだろう。
寺山修司の短歌の少なからぬものが、虚構の物語を、本当らしく、創り上げているのとは、対照的なのかもしれない。
嘘のない世界は、心の中にある。
自分の喋る言葉を、二つに分類するとする。
ひとつは、本当のこと。
もうひとつは、嘘、もしくは、
・事実でないこと
・粉飾していること
・自分を弁護していること
等々。
ひょっとしたら、一日の言葉の中で、第一分類に入る言葉等は、一言も、発していないのではないか。
いろんな場面での会話。
ああ、そうだ。
言葉は、常に、巧妙に加工され、美化され、真実を隠匿し、道徳を装いながら、虚構の世界へと導かれる。
嘘をつくな、という教えこそ、非現実で、常軌を逸している、とすら、思われる。
どうせ、虚構の世界での一生ならば、
・音楽を奏でること
・絵を描くこと
・うた(詩・短歌・俳句等)を詠うこと
等で、
・どんな自己への粉飾が行われるか
・虚構の表現がなされるか
試してみる。
嘘を書く(吐く)と、
「嘘」
が
「本音」
よりも
「本当」
になる。
共感と反感は、仲間である。
共感されすぎて、反感かったり。
反感かいすぎて、共感されたり。
この世界って、ややこしくて、面白くて、わりといいかげん、かな。
だけど。
わかったふうに生きるのは、なんか嘘っぽいし。
答え合わせは、まだまだ、早い。
でも、このわからない感じを。
しっかり受け止めて、見つめていきたい。
【参考記事】
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