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辿り着けない あの味
私は 2つ歳下の弟と 2人きょうだいである。
幼い頃から 共働きだった両親。
両親とも 夜勤のある仕事をしていたので、物心がついた頃から、母方の祖父母の家に預けられることが多かった。
典型的な(?) じいちゃんばあちゃんっ子だった 私は、他界してもう 随分時が経っても
ばあちゃんの 作った料理の味が 忘れられなくて 無性に食べたくなる時がある。
それは すごく豪華なご馳走だったとかではなく(ゴメン、ばあちゃん…)
今なら いくらでも 作ろうと思えば作れる、
素朴な玉子焼き。
何度も挑戦した。
だけど、何かが足りない?
何かが違う。
きょうだい、両親、叔母、従姉妹も 同じことを言う。
「ばあちゃんの玉子焼きって、何であんな美味しかったんだろうね?あの味を再現出来ないんだけど…」
って。
母の玉子焼きも とても美味しいのだけど、
ばあちゃんの味と違う。
(母もそれは自覚している)
多分、ばあちゃんの中では レシピなんてなくて いつも目分量だったんだと思う。
お砂糖やお塩や 他に何を入れていたか…とか 量とか、誰も教えてもらったことないっぽいから。
私も教わってなかった。
ばあちゃんが まだ元気なうちに 教えてもらえばよかったな…。
辿り着けない味は もう一つあって。
それは、じいちゃんが 裏の畑から(The田舎だったので 当たり前に家庭農園があった)もいできて
ただ茹でてくれた トウモロコシ。
思い出補正もあるのかもしれないけれど、
夏休み期間中に食べていた あのトウモロコシより
美味しいと思う トウモロコシを食べた事がないような気がする。
子供の頃は 正直、寂しかったんだ。
両親が仕事忙しくて、じいちゃんばあちゃんの家に 預けられることが多くて。
友達が羨ましいと思うこともあった。
だけど、大人になって思う。
とても大切な事は じいちゃんばあちゃんから教わっていたんだ、と。
小学生の頃から
「えぬちゃん、箸の持ち方綺麗ね」
「魚食べるの上手ね」
「お茶碗のご飯粒綺麗に残さず食べるね」
と よく言われていた。
子供の頃は「何が?」と思っていたけれども。
思い返してみたら、両親に、厳しく箸の持ち方を教わった訳では無い。
じいちゃんばあちゃんから厳しく躾られた記憶は無いのだけど、きっと教えてくれていたのだろう。
じいちゃんの言葉は覚えている。
「こん米は、じいちゃんと ばあちゃんが作ったけん 1粒も残すなよ。米の神様が悲しむけんな」
と。(祖父母は稲作もしていた)
聞けば、弟も同じように 食べ方を褒められることが多かったようなので、やはりこれは じいちゃんばあちゃんのお陰だと思う。
叱られて覚えたでもなく、ジワジワ…と 乾いた土に優しい雨が浸水していくような感覚で 私と弟は 身に染み込んで覚えていったんだと思う。
玉子焼きの味付けや トウモロコシの茹で方とか…そういうのも 受け継ぎたかったな。
玉子焼き、また挑戦してみよう。
母が元気なうちに あの味を再現して 一緒に食べたい。