西の魔女との生活
今日は月に一回の病院の日でした。お薬を貰って帰ってきてから読書をしていたら、なんとなく思い出したことがあったので書こうと思います(ちなみに読んでいたのは梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」です。)
私は五歳(保育園年長くらいの時期)のとき、父の叔母夫妻の家に長い間居候していました。今はかなりマシになった方ですが、当時はとにかく偏食が酷く、母からは「うどんと苺しか食べてくれなかった」と聞きました。当然給食の時間も苦手で、お昼寝の時間まで残って食べさせられていました。お肉もお野菜もお魚(特に煮たり焼いたりされたもの)も苦手だったので、「何なら食べられるの!」と先生によく怒られて泣いていました。保育園にも馴染めていなくて、毎日行くのを渋って泣いて両親を困らせていました(この時はまだ両親は離婚していない。)好きだった先生に抱かれて泣き止んだら、木で出来た小さな図書館に篭って絵本を読んでいました。私の保育園では年長クラスはキリン組だったのですが、キリン組で過ごすときも、先生に抱かれているか一人で絵本を読んでいるか積み木をシャープの形にして積んでいくという遊びばかりしていました。先述した通り、私はあまりお昼寝ができなかったのですが、お布団が隣だった男の子にお医者さんごっこをしようと言われ、(心臓とか肺の音を聴けばいいのかしら)と思っていたら、齢五つにして陰部を舐めてほしいと言われ、その時は「病院では心臓や肺の音を聴いたり喉を診たりしてもらうんだよ」と言って何とかやり過ごした気がしますが、内心気持ちが悪くて仕様がありませんでした。
そんなことがあり、私が特に保育園に行くのを嫌がりだしたのを見兼ねて父の叔母夫妻の家に預けられました。父の叔母夫妻の家はずうっと西の方にあって、高速道路で三時間車を走らせたかと思うと、ぼこぼこした山道を今度は走ります。やっと街の方へ出てきたら叔母夫妻の家です。二階建ての家で、木で出来ていました。畑が広くて、柑橘系の木が植えてありました。なんという名前の蜜柑だったかは思い出せません。
叔母夫妻は私のことをとても歓迎してくれました。私と妹が物心つく前くらいの写真が家には沢山ありました。私は大抵不細工な顔をしていて、アイドルが好きだったのでポーズだけは完璧にとっていました。叔母夫妻は結婚しているのですが、子供は居らず、お互いを「美和さん」「博樹さん」と呼んでいて、敬語を使っていました。私の地元の方言は結構キツく聞こえるのですが、西の方に住んでいる叔母夫妻は私とは違う方言を使っていました。とても柔らかくて優しそうに聞こえました。
叔母夫妻は二人ともぽっちゃりとしていました。私があまりにも痩せていたので、心配したのか一日中何かしらを食べさせられたときもありました。実際、夜に朝食用のパンを作って、朝に手作りの苺ジャムを塗って食べたり(驚いたのは朝食がプレートで出てきたことです。パンと卵焼きとウインナーとサラダにココアなんかが出てきました。)昼食はお蕎麦を食べに行ったり、間食には恐らく良いところのチョコレートやケーキ、プリンやゼリーを食べさせてくれました。祖母が作ってくれるココアは、お湯ではなく温めた牛乳で作られていて、私が今まで飲んでいたココアってココアじゃなかったのかも!と本気で思うくらい優しい味がしました。祖母はクリープを入れたコーヒー。祖父はブラックコーヒーをいつも好んで飲んでいました。お夕飯は大抵お刺身だったような気がします。スーパーまで一緒に買いに行くときは絶対にセボンスターを強請っていました。
祖父はもう定年退職しましたが、学校の先生で社会を担当していたらしいです。祖父の書庫には当時の私にはよくわからない本ばかり並んでいました。◯◯戦争がどうたらと背に書かれた本があったことは覚えています。祖父は絵本を読むのを好んでいた私をよく褒めてくれました。憂佳は賢い、良い子だと何度も言ってくれました。でも私は馬鹿で、迷惑ばかりかける自分勝手な悪い子だということをわかっていました。勿論そんなときはいつもありがとうと言っていました。祖父はいつも(題名が思い出せないのですが)スウェーデンに住む同い年くらいの女の子のドラマみたいなものを見せてくれました。当時の私はその女の子が何語で話してるのかもわからなくて、画面の下の方に書いてある日本語の字幕を見ていました。当然叔母夫妻の家にWi-Fiなど無いし、当時の私も携帯など持っていなかったのですが、毎日充実して楽しかったことだけは明確です。
十二月、クリスマスだから帰ってきなよと私宛てに両親から電話がありました。私はうーんと悩んでから、祖母と祖父の顔を伺いました。「帰ってあげよう、ママもパパも喜ぶよ。」と祖母が言ったので、私は「わかった」とだけ両親に言いました。本当は帰りたくなかったことは祖母も祖父もきっとわかっていたと思います。三月には卒園式もあったので、どのみち潮時だったのです。その日はお風呂でこっそり泣きました。祖母と祖父は毎日私を真っ先にお風呂に入れてくれていたことを、その日初めて実感しました。