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祖母の愛情を忘れないうちに。
私はおばあちゃんっ子だった。
おじいちゃんは、私が物心つく前に亡くなっていて、母方の祖父母は訳あって、海外に住んでいたものだから、
私にとってのおばあちゃんは、「おばあちゃん」だけだった。
おばあちゃんにとっても、私は末孫で、上の孫から10歳は離れていたので、それはそれは可愛がってもらえた。
両親と喧嘩した時は、家出という名目で、おばあちゃんの家まで自転車を漕いで、よく泊まりに行った。
おばあちゃんのご飯は、とびっきりにおいしくて、でも泣きながらご飯を食べるものだから、ちょっぴり、しょっぱかった。
おばあちゃんは、よく本を読む人だった。ミステリ小説の貸借りをしていた。そういえば、まだ返していない本があるな。
学歴は無いけれど、勉強意欲がある人だった。中学生の頃は数学が好きだったと言っていて、
親戚の女の中では珍しい、私の理系進学も、「私とよく似ている」と言って勧めてくれた。
おばあちゃんは、私が大学生になった頃から、体が悪くなった。車椅子生活になって、趣味も思うように出来ず、だんだん気力がなくなっていくのが分かった。
私はというと、大学生活で忙しなく過ごしていくうちに、おばあちゃんに会う頻度はどんどん少なくなってしまった。
ある日、父とちょっとしたことで口論になって、家を飛び出して、おばあちゃんの家に行った。
おばあちゃんは、いつもと変わらず、美味しいご飯を作ってくれた。
20を超えて親と喧嘩なんて恥ずかしい。でも、おばあちゃんにとっては私は可愛い孫娘で、にこにこと受け入れてくれた。
その日は、おばあちゃんと一緒のベットで眠った。
おばあちゃんのベットには布団が何重にもかけてあって、暑くて暑くて、しょうがなかった。
私は何度も布団を払い除けたけれど、その度におばあちゃんは、私に布団をかけ直してくれた。何度も何度も、おばあちゃんの手が私に当たって、「おばあちゃん、もういいよ」と言いながらも、
その愛情は暖かくて、布団の中でこっそり泣いた。
おばあちゃんは、ただただ優しかった。
これが最後のおばあちゃんとの思い出になった。
おばあちゃんが危ない状況になって、
意識がある状態がこれでもう最後かな、という時に、最後に少しだけ話せた。
おばあちゃんは、私をみて、「勉強頑張れ」と言った。
もっと色々あるのに、勉強か、と少しクスッとしてやっぱり涙が出た。
大学院で研究がうまくいかず、悩んでいた時期だったから、余計に心に響いた。おばあちゃんには敵わないな。
難しい遺言をもらってしまった。私は生涯をかけて、勉強を頑張らないといけなくなった。
今でも祖母のことを時々思い出す。もう辛いことがあっても、恥ずかしくて逃げ出したいことがあっても、おばあちゃんの家へ行くことはできない。
それでも、おばあちゃんの暖かい愛情を覚えているから、今でも何だか安心した気持ちになれる。
どんな目標を立てても、周りに反対されても、
おばあちゃんだけは味方になってくれるだろうから、私は自分の選択に自信を持てる気がする。
祖母からの愛情を忘れないうちに、この文章を書こうと思った。
おばあちゃん、本当にありがとう。大好きです。
おばあちゃんのことを思い出す度に、未だに涙が出るけれど、勉強をサボる訳にはいかないから、また明日からも頑張ろうと思う。