見出し画像

頑張れよ


一年前の昨日(2月5日)は、母方の祖母が亡くなった日。
たくさんの人に涙ながらに見送られた祖母(以下おばあちゃん)は、私にとって偉大な人である。

おばあちゃんは相当な苦労人だった。
学校に行かせてもらえず小さい頃から働いていた。
だけど、道を踏み外すことなく真っ当に生きてきた。

無口で亭主関白な夫に出会い、3人の娘に恵まれ、厳しくもたくましく育て上げた。
朝から晩まで働き、親の介護もしていた時期もあった。

たくさんの病気もしてきた。入院、手術、退院を繰り返していた。
最後も病気だった、余命僅かだった。

食べることができない病気だったので、みるみるうちに痩せていった。
もともと小柄なのに、会う度に小さくなっていった。
食べることが大好きだったから、食べられないことは本当に辛かったと思う。
それ以外にも闘病生活で辛いことはたくさんあったと思う。
だけど、おばあちゃんはいつも周りを和ませようと冗談を言ったり、気丈に振舞っていた。

おばあちゃんに出会った人はみんな笑顔だった。
「優しい」「おもしろい」「場の雰囲気が明るくなる」「話が上手」…おばあちゃんのことを悪く言う人はいなかった。
ひいき目無しに、みんなおばあちゃんのことが好きなんだということが伝わってきた。

おばあちゃんは、たくさんの人から愛されていた。
人柄ももちろんあると思うけど、おばあちゃんがたくさんの人を愛していたからだと思う。
自分のことは後回しで相手のことを優先し、相手に寄り添い、心を開きやすい雰囲気を出せるのは、おばあちゃんの才能でもあるのかもしれない。

人は、日々の慌ただしい日常に良くも悪くも慣れていく。
おばあちゃんがいなくなった悲しみも少しずつ薄れて、そのうちいないことが当たり前になっていく。
だけど、ふとした時におばあちゃんの言葉を思い出す。

おばあちゃんが亡くなる少し前、私と妹に対して「頑張れよ」と言ってきた。
弱々しく痩せ細った体で、だけどとても力強い「頑張れよ」は一生忘れることができない。
「頑張る」ことを最後まで見せ続けてくれたおばあちゃんの姿を見て、私たちはおばあちゃんの「頑張れよ」を無駄にしてはいけないと思った。

しんどくて辛くて頑張れない日もある。
サボってしまいたくなる日だって全然ある。
「頑張れ」って言葉がプレッシャーに感じる時だってある。
ほどほどに、っていうのも難しいけど、
無意識に「今日も頑張るか~!」って気持ちが湧いてきたときに頑張ればいいかな、なんて吞気なことを思っている。
そんなこと言ったらおばあちゃんにケツ叩かれて喝入れられそうだけど(笑)


さぁ、今日も頑張るか~!




いいなと思ったら応援しよう!