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#旅のフォトアルバム
自然と人が織りなすアートの祭典/ 北アルプス国際芸術祭2024
冬本番一歩手前の長野県の北西部の大町市。
大自然の中で開催された「北アルプス国際芸術祭」へ、先の3連休に会期ぎりぎりで滑りこみました。
長野県大町市は富山・岐阜県に接する北アルプスに抱かれた山、湖のある田園地帯です。
古くからの神社や塩の道、黒部ダムなど人々の生活と歴史がそのままに残り、私たちが思い浮かべる「里山」そのものの風景が広がっています。
3年に1度開催する芸術祭は、国内外のアーティス
「熊野とは」overview①
熊野とは①~⑥で
・熊野が熊野にある理由
・熊野が聖地になった理由
を紹介しましたが、もっと短くというお話もいただいきました。
概要版をお届けします。
熊野がそこにある理由・・それは大地の営み
熊野は和歌山、奈良、三重の3県にわたる広大な面積を持つに日本最大の聖地。信仰の中心は、和歌山県にある熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺)です。
紀伊半島には、
・自然崇拝
海の京都|夕日ヶ浦温泉で夕景を見てきた
夕日ヶ浦温泉は京都府の北西部、京丹後市の日本海沿いの温泉です。最近では海の京都と呼ばれキャンペーンも行われておりました。夕日ヶ浦というその名の通り夕日が美しい場所らしいので宿泊で行ってきました。
京都から車で京都縦貫道を使って約2時間半程度で行ける場所にあります。城崎温泉の方角というと分かりやすいですかね。
興奮したのか朝早く起きてしまったので、マクドナルドで腹ごしらえをして、下道を使ってのん
熊野らしいところ・・三重県の熊野②「自然崇拝の熊野」
前回、三重県の熊野地方の大きな特徴は、下記と紹介しました。
・熊野と伊勢神宮の間にある。
・今も熊野信仰の起源となった自然と信仰が多く残る。
今回は、この地域にある心が動かされる自然崇拝の熊野を紹介します。
明治時代の神仏分離令やその後の神社合祀令で、神仏習合からの仏教の分離、修験道や陰陽道の廃止だけでなく小さな神社や自然を神とする神社が廃止されます。
自然崇拝を起源とし、神道に仏教、修験道
クマノザクラ・・100年ぶりの桜の新種
クマノザクラは、100年ぶりに発見された新種の桜です。
地域では、「早咲きのヤマザクラ」と思われていましたが、
2017年新種の桜と判明しました。100年ぶりの発見です。
特徴はいろいろあるようですが、早咲きであることとピンク色が鮮やかであることがクマノザクラのだれもがわかりやすい特徴でしょう。
3月上旬~中旬にかけて熊野で咲いている桜はほとんどクマノザクラです。
続いてソメイヨシノでその後にヤマ
熊野詣は日本人の旅の始まり。
熊野の成り立ちを振り返る
熊野は、自然崇拝が起源。山、森、水、岩、滝、川・・が神さま。
今でさえも、信仰を理解できる自然が何とか残されていますが、当時は火山活動(熊野カルデラ)に起因する人々を圧倒する景観に加え、温暖多雨のなか折り重なる深い山々には、密林のごとく自然林が天を覆うほど生い茂り、幽妖な空気を発していました。
紀元前後になると具体的に神さまをお祀りするようになります。
熊野本宮大社の
「これが地球のエメラルドグリーン」
昨年9月下旬、長野県木曽郡大桑村の阿寺渓谷を歩いてきました。全ての道は次なる物語へと続く――はずだけれども、いざ足を踏み入れると、もう、なんだっていい。今、ここに居る自分。それだけが全て。
さあ、呑み込まれに行こうか
最寄り駅に着いたのが午前8時半くらい。昨日の雨模様が嘘のような晴天。朝から暑い、夏の名残りどころか太陽が眩しい。嫌いじゃない。
駅から渓谷の入口まで歩いて20分ほど。道は民家の
ガイドブックにない熊野・・ハンパないポテンシャルを持つ那智勝浦③
那智勝浦①では、山。
那智勝浦②では、海。
那智勝浦が持っているハンパないポテンシャルを紹介していますが、
今回は、私がおすすめする温泉と美味しいものです。
熊野とは①で紹介したように、熊野信仰は自然崇拝が起源。
それは大いなる大地の営みへの畏敬。
大地の営みは、世界最大級の「熊野カルデラ」が大きな要因。
その熊野カルデラに沿って泉質抜群の多くの温泉が湧き出ています。
ハンパない湯量と泉質の
なぜ縄文人はフォッサマグナ沿いに集まったのか?
結論:良質なヒスイ、黒曜石が採れたため、それらを求めて多くの人々が集まった1月4日は石の日。語呂合わせから誕生しました。2024年の石の日は、縄文時代、人々を魅了した石について取り上げます。
縄文人日本列島の先住民の一部で主に東日本に住んでいました。現在の日本人の多くは、朝鮮半島から西日本を中心にやってきた弥生人と東日本を中心に日本列島に住んでいた縄文人が交雑して誕生したと考えられています。