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#エッセイ
心持ちが変わると見える景色も変わっていく。
ドイツにいる友人につらつらとLINEを書いた、今の思いを。
彼女、Yちゃんは私の三つ下でドイツでは珍しく義理両親と同居していて、素晴らしい良妻賢母の女性だ。
出逢ってもう12年くらいが経つ。
当初はこんなに深い付き合いが出来る関係になれると思わなかった。
異国で三十を越えて友人を持つことは難しい...と最初思ったが、意外にもその後ゆっくりと親しい友人が増えていって、今は友人達を思い浮かべるだけで
「意味のある偶然」のこと。
先週の日曜日、ある教会でマンドリンとクラッシックギターとコントラバスのアンサンブルが催され、そこで友人がギターを弾く姿を、初めて間近で見ることが出来ました。
いつも遠慮気味で線の細い友人の、ギターを抱くその背筋が伸びた姿は凛として、とても美しく静かな気迫を感じました。
こうやって音楽に向き合い弾き続けて来たのだと、ギターを包むように前傾し真っ直ぐに伸びた背中を見ながら、彼女の音を最前列で聴いてい
ほどけたいワタシというものは。
自分を赦すのが難しいのは何故なんだろう?
と、唐突にですが考えてみました。
歪められた自己イメージがあって、それに現在の生きた自分が縛られているからなのかな?
人格が形成する過程で、さまざまなな周囲の大人からの呪いの言葉のせい?
大人は、父親だったり母親、祖父母や先生など身近にいて影響力を持った人間で、当時の彼等を年齢的に追い越しても、心の中にいるその人は未だ大きな存在だったりします。
そし
西から東へ,いつも旅の途上
思い立ってベルリンへ来ている。
一週間前は、まだ神戸にいたというのに...この振り幅。
ドイツ人が嫌う spontan(思い立って予定外のことを突然する)な行動もここに極まり...という感じだ。
以前、午前中に思い立ってケルンに行く記事を書いたが、ベルリンはケルンと違ってなかなか遠い。
誰にも、家族にも言ってないので私が遠いベルリンに居るというのを知っている人はいない。
子供達は昨日の夕方