ヒプノセラピーとわたし【サイドストーリー】
「9月が終わる前に!」とヒプノセラピーについての経験を勢いで書いたときから刻々と日々が過ぎている。
「えっもう書いて10日以上!?」
今を流れる時間の速さに驚いたし、すでに10月ということが俄かに信じられなかった。
思いきってヒプノについて書き出したのはこの時を逃したらまた暦はドンドンと進みドイツの日常の諸々に紛れてしまう、という危機感があったから。
私にとってはもう慣れ親しんだここドイツでの時間は、やはり夏に体験した時間とは決定的に質的に異なるもので、その日本の空気感や雰囲気がまだ体のどこかに残っている間に書いてしまわなければ結局書かないままになってしまう。
ヒプノセラピーについて書くのは、夢の内容を書くのに似ている
これはある友人の言葉だが、言い得て然り。
目醒めた後に夢を掴もうとしても頭から消えてしまう感覚みたいなものと、自分の中に有る“躊躇い”に気がつき、それがなんなのかが掴めないままモヤモヤするようになった。
そうするうちに早くも庭の花梨(マルメロ)が収穫の時期になり“待った無し”のジャム作りが始まり、補習校の理事会仕事が次々やってきて、自分を含めた家族が順番に風邪をひいたり....そんな“日常生活がど真ん中に在る”風になると、自分にとって確かに重要な体験だったヒプノセラピーと改めて向き合い辛くなった。
いや、向き合っているのだろうけどそれをどう表現したいのだろう?
何を書き残すべきか...と考えながらジャムを作っていた。
花梨は収穫して放置しておくとどんどん傷んでくるので、それらを一気に切って蒸らして抽出する作業を13時間かけて行った。
今回は思ったよりも集中でき、指を切るようなヘマはせずに済んだ。硬い実をガンガン切るので手首と指がまだ痛むくらい。まず半分に切って中身を見るとほぼどれも真っ白で瑞々しい。2年前は収穫して少し置いてしまったけど、今回は収穫とほぼ同時に切り始めた花梨の実は充実した、エネルギーをいっぱいに蓄えた状態で私のまな板の上にあった。
2年前にも感じたけれど、この花梨のジャム作りは独特のエネルギーを感じる作業だった。
花梨の香りは、桃と梨とレモンとリンゴが混じり合ったような複合性がある得もいえない芳醇なもので、この香りのパワーが私が感じるものの正体なんだなぁとあらためて解った。
そんな作業の合間に、振り返りのようにオンラインでのカウンセリングも受けた。
コスタリカ在住のNさん(日本人女性)はとても魅力的で懐の深い方で数年前に偶然めぐり逢えたカウンセラーさんだ。
半年に一度くらいの頻度でカウンセリングを思い立ちお話を聴いて貰っている。
ヒプノセラピーのこと、それを書くことへの現在の気持ちを話すことができた。
こんなややこしい吐露にNさんはジッと耳を傾けてくれた。
それは“時差”みたいなものかも知れません。
深海に潜って吐いた泡がゆっくり上がっている最中が今のみきともさんの心情なのかもですね。
それも含めて書いてみたらイイと思いますよ。
時差なら散々体験している。
ゆっくり現地の時間に馴染んでゆくまで、そのギャップの中に居ることも味わってみようか...
トラウマなんてものが明確に自分の中にあったことに戸惑った。そしてその出来事は私の父との間にあった出来事だった。
それを今、遠い想い出のように思い出すことができる。そこには哀しみも嫌悪も怒りも無力感もない。
ただ「そういう出来事があった」という静かな心境になれた。
それをもう一度書くことは、責める行為みたいで、そんなことをしてイイのかな...?という無意識のストッパーが有ったのかも知れない。
消化して昇華するまで...なにか優しいものになるまで時間が必要なのだと思う。
全く気付かずにいたトラウマは約30年間も私の中で眠り続け、小さくはない影を常に人生に落としてきたのだと思う。
そういう事実と共にあったものを、正面からあまり見つめ過ぎず、でも忘れずに、今暫くは心の中に留めておいたらいいのだ。
体内に花梨の香りが微かに漂ってきたらきっとその時期が「書けるとき」なんだって思う。