霧と光と影〜桜の咲くころ
霧が出てきたなぁ、季節が動いているなぁと冬の終わり、そんな頃に思い浮かべたことを記事を書こうと思っていたら桜が目の前で揺れる季節になっていた。
自室の勉強机の前の窓から庭に咲く山桜が見える。
今が満開。今だけちょっと日本みたいだ。
この家に越してきてから13年になるが、ずっと雑木林の一端だった土地が拓かれて隣に家が建とうとしてる。
最初の基礎工事の時は浴室の鏡が揺れるほどの振動だったが、今はカチカチというトンカチの音や重機の音が断続的に聞こえる。
外が少し騒がしいけど、この桜が散る前に今、心に浮かんでいる何かを書き記しておきたい。
海外に住んでいると言うと、相手の第一声はポジティブで、場所を告げるともっと声は黄色くなったりするが、何がそんなに良いというのだろうか。
いやそれは単なる社交辞令、脊髄反射的な反応に過ぎないかも知れないけれど。
ただ欧州住みというと、漠然と憧れ感が湧いて来るのも分からなくもない。
「なんだかよく知らないけど素敵」ってもしここに住んでいなかったら私だってそう思っただろう。
在独十数年の域に入るとかなり多くの日本人を見てきた。新しく入ってくる人。出ていく人。もっと長くここで暮らしている人。事情はそれぞれ様々だ。
日本語補習校というコミュニティに属していると尚更で、何のご縁かでそこの理事長をやることになってもうじき1年。
今まで見てこなかった別の側面から人を見る機会を得ている。人は自分が見たいものを見るし、自分の目に入って来ないものは思っているよりもずっと多い。
“海外に住んで道を誤る人”というのは一定数存在する。それは本当に三文小説のお話みたいで、それがごく身近で展開したり、自分が全く知らない所で色々なことが起こっていたりする。
大きく踏み外して一気にいなくなるか、徐々に侵食されるか...。
そしてそこに子供がいるとまず間違いなく、影響を受けるのはそこの家庭の子供だ。
時々、身近に病んでいるらしい(精神的に)子供の話を聞くと胸が痛む。
昔、親と一緒に暮らしている時は、親子の絆というものがよく解らなかった。けれども自分が親になり視点が逆転すると、親がどれくらい子供に影響を与えるかをまざまざと感じる。
自分の人生の荒波に揉まれている時、もみくちゃになりながらその責任の重さに震えた。
子供を三人も持ってしまってどうしよう・・・と思った。「今更思っても遅い」というその現実が怖かった。
自分が負える責任を超えていると思い、肩にずっしりと重さを感じて押しつぶされそうになった。
自分自身、納得できないけれど、それでも夫が出て行ってからもドイツに残り続けようとギリギリの所で決めた。それが4、5年前の話。
いま、少し離れてその時の心情を見つめると、とても楽な気持ちな自分がいる。
今の私には重圧感も焦燥感もない。
それらは少しずつ形を変えて気がつけば私から離れていた。
長男が補習校の小学部を卒業し、卒業式でみんなが合唱する姿を見ていると、ぜんぶよかったなぁという思いに包まれた。
日々、やらなければならない事は色々あって、落ち込むこともあるけれど、自分がこの場所でかつて囚われていた思いから自由になって在ること。
それがなによりの、かけがえのなさで胸に迫る。
桜の美しさをただそのままに美しいと思えること
笑顔で子供と話せること
心が羽ばたくときが有るということ
それらは決して当たり前ではないから。
なにかが違えば、そうなっていなかったかもしれないと知っているから。
◇
今日は次男は課外授業で、アイススケート場へ行くことになっていた。
朝、集合場所の駅へ行くとひとりの女の子が嬉しそうに彼の名前を呼んで駆け寄ってきた。
なんとなくピンと感じることがあって、帰宅後に尋ねてみる。
すると照れくさそうに「そうみたい」と答えるので、自分で聞いておきながらちょっとびっくりした。
末っ子でいつまでも小さいと思っていたが、現地校では小学5年生の男子だ。
その女の子の名前はアナスターシア。
ウーン...まさか自分の息子を好いてくれる女子がそんないつかのお姫様みたい名前だとは...。
二度びっくりしたが、あまりしつこいと嫌がられるので言わないでおいた。
そんな次男は“ぬいぐるみ”が大好きで、50個くらいのぬいぐるみに埋もれて寝ているし、5月の11歳のバースデーにさらなるけっこうな大きさのぬいぐるみをリクエストして来た。
そんなことはアナスターシアは知るまい。
クラスの竹内くんが好きだったあの頃の自分を少し思いだしたが、もし竹内くんがぬいぐるみと寝ていたらどんな気持ちになっただろう?
もうあまりにも遠い想い出に届かなくって、くすぐったさだけが胸に残った。
そんなことをボンヤリと思いながら見る桜はとても美しい。こんなに綺麗だったのかな...って目を凝らしてずっと見ていたくなる。
そんな2024年の春を迎えました。