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混沌とした絶望の中で、それでも光を求めて。

ある日突然、学校にいけなくなってしまったこと。

ある寒い日の昼下がりの学校で、突然始まった長時間の手洗い行為や確認行動。

生きていれば、到底理解が追いつかない、抱えきれない苦しみに出会ってしまうときがある。

そんなとき、「その出来事とどう向き合っていくか?」というのは人それぞれだが、真面目で責任感のある心優しい人なら、尚更ではないだろうか。

「なぜそうなってしまったのか。」

その理由を自分一人に求めてしまうことはないだろうか。

その瞬間、ただひとり、暗闇の中に葬られた気分になり、出口の見えない絶望感に苛まれてしまうこともあるだろう。

けれど、最近思うことがあるんだ。

自分一人の責任において、起こってしまう辛い出来事って実際どのくらいあるだろうか。

そして「なぜそうなってしまったのか」それを誰が全て説明することができるんだろうか。

ということだった。

例えば、「なぜ強迫性障害になったのか?」については、きっとそれらしい答えは調べればすぐに出てくるだろう。けれど、現段階での最終的な結論は、「強迫性障害の原因はまだはっきりとは分かっていない」というものだった。

この時点で、もうすでに世の中は不明瞭なことも多いということが分かる。

また、不登校になった原因も、主には強迫性障害の悪化が関係しているのはほぼ間違いなさそうだが、それが全てだと断言できるだろうか。

「もし学校の友達が優しかったら?」
「もし穏やかな雰囲気の学校だったら?」

色んな「もしも」が浮かぶけど、試してないから実際のところは誰にも分からない。

けれど、「もしそうだったら、不登校にはならなかったかもしれないし、でももしそうだとしても不登校にはなっていたかもしれない。」

そんな答えがより忠実になるだろう。

きっと、世の中は白黒はっきり出来ないことがすごく多い。

だから尚更、「なぜそうなってしまったのか?」自分一人の頭の中で、考えを巡らせたり、その責任の矛先を自分に向けてしまうことにあまりプラスを生まないような気がするんだ。

また、そういう考えというのは、私にも経験あるが、大抵の場合、自分を苦しめるものとして使われてしまう。だから、いい塩梅にしておこうか。

まずは、苦しみの渦中にいる自分を、優しく「辛いよね。しんどいよね。」と声をかけてあげてほしい。それだけで十分、またあなたの足で立ち上がって生きていけるから。

けれどそれは、全てが苦しみのなされるがままだということではない。私たちは決して無力なんかではないのだから。

その中でも自分の手で、どうにかできることだって必ずある。

それを見つけることが、すごく大切だったりする。

「どうしたら、今の苦しみが少しでも楽になっていけるか」考えて行動することは、苦しみの渦中にいる自分だけに与えられた特権なのだから。

自分で選んだその道を信じて進んでいくことが、苦しみを乗り越えるための術なのだ。

そんなこんなで、「なぜそうなったのか」その問いが腑に落ちるタイミングも、必ずあなたの元に訪れてくれる。

だから、答えを急がなくっても大丈夫。嫌でもきっと、未来のあなたが見つけ出してくれるから。

分からないまま、見えないまま、理解できないまま、それでも前に足を踏み出して大丈夫。

霧の中でも、視界が悪くても、足元見て、微かな灯りさえ辿っていけば、霧も晴れる景色が見られる。

そんな日は必ず訪れるから。

りん

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りん【強迫性障害(精神疾患)/不登校を乗り越えたひと】
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