本能寺の変1582 重要 ◎第10話① 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
重要 ◎第10話①
4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 1/7
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*以下は、重要ヶ所◎のみ抜粋したものです。
*加筆修正 240116 240205
◎織田家は、急激に拡大していた。
信長は、有能な人物を求めた。
すなわち、「役に立つ」者。
◎信長の人物眼。
信長は、鋭敏な感覚の持ち主だった。
人を見る目に優れていた。
◎光秀は、出来る男(切れ者)。
結果、光秀の今がある。
光秀は、「役に立つ」男。
出来る男なのである。
すなわち、切れ者。
◎信長の人事評価。
「役に立つ」のか、「立たぬ」のか。
信長は、その様な目で重臣たちを見ていた。
人事評価である。
◎光秀が、その基準だった。
信長は、光秀を基準として、重臣たちを評価していた。
そして、事件が起きた。
◎信長は、無駄を嫌った。
信長は、合理主義者。
無駄を嫌った。
◎佐久間信盛の一件。
織田家中に、激震が走った。
信盛は、全く、予期していなかった。
否、誰一人として、・・・・・。
◎信長は、不意を衝いた。
それは、ある日、突然、やって来た。
◎役に立たねば、粛清される。
これが、戦国時代の風潮。
「粛清」
恐ろしい世の中だった。
重臣筆頭者といえども、容赦せず。
信長は、恐ろしい男なのである。
この事、肝に銘ずべし。
以下、それについて、説明する。
◎石山本願寺、退城。
元亀元年1570、戦いが始まった。
それから、十年余。
天正八年1580、ここに、ようやく終わった。
長い戦いだった。
去る程に、新門跡(教如)、大坂渡し進(まい)らすべきの御請けなり。
天正八年、庚辰(かのえたつ)、
八月二日、新門跡、大坂退出の次第。
◎信長は、執念深い。
信長は、ついに、本願寺を降した。
執念である。
御勅使、近衛殿・勧修寺殿・ 庭田殿。
右の下使、荒屋善左衛門。
信長公より相加へらるゝ御使、宮内卿法印(松井友閑)・佐久間右衛門
(信盛)。
大坂請取り申さるゝ御検使、矢部善七郎。
◎蛛の子をちらすが如く。
退山時の様子である。
八月二日、未の刻(14時頃)、
雑賀・淡路島より、数百艘の迎へ船をよせ、
近年相拘(かか)へ侯端城の者を初めとして、
右往左往に、縁々を心懸け、
海上と陸と、蛛(くも)の子をちらすが如く、ちり々々に別れ侯。
◎伽藍炎上。
やがて、出火。
「西風来たりて」
「一宇も残さず」
三日三晩燃えつづけた。
伽藍は、全て消失した。
弥(いよいよ)、時刻到来して、たへ松の火に、西風来たりて、
吹き懸け、
余多の伽藍、一宇も残さず、夜日(よるひる)三日、
黒雲となつて焼けぬ。
(『信長公記』)
◎信盛の油断である。
教如の仕業とされる。
「渡さぬ」
そう、思っていた。
信長は、誇り高い男。
不快だった。
「一杯食わせられた」、のだから。
腹が立った。
なれど、忍耐。
心の内に留めた。
総指揮官は、佐久間信盛。
警備上の問題は、・・・・・。
「油断」
何やら、雲行きが怪しくなって来た。
一、去る二日、大坂、城渡しおわんぬ、
近衛殿請け取られ、
渡して後、やく(焼)る様に用意しけるか、
無残、二日一夜、明け三日までに、皆々、焼けおわんぬ、
過分に、米・塩・噌・資財、悉(ことごと)く以って焼け、
国家の費(つい)えなり、
本願寺上下、雑賀への(退)きおわんぬと云々、
天文元(1532)、一揆の比(ころ)より歟、
山階(科)をの(退)き、当年に至り、四十八、九年歟、
栄花(華)にほこり、天下より、もちせき富貴のところ、
一時に頓滅、
盛衰、眼前、々々、
(「多聞院日記」八月五日条)
⇒ 次へつづく
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「本能寺の変」
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