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何年か前の今日、私は死にたかった。

8月31日前から9月1日は学生の自殺が一番多い期間。

私も夏休みの終わりが死んで逃げたくなるほどに嫌いだったし、死のうとした後で、行きたくないのを無理して9月1日に登校したので力尽きて、以降不登校になったから。

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今振り返るとささやかなこと。

9月10日に生まれた友人の誕生日プレゼントを準備していたけれど、彼女は夏休み終わり間際の私の誕生日を忘れていた旨の発言をされたことがきっかけ。

冷静に考えると、長い夏休みの終わりにある私の誕生日を忘れてしまうことなんて、そんなに天と地がひっくり返るほどのことではないのに。

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元々他人が怖いから、夏休みが明けるのが怖くて仕方なかった。

誕生日もあるし歳をとってまた穢い存在と考えてた大人に一歩近付いてしまうし、憂鬱で吐きそうだった。

そんな中軽く扱われた私の誕生日。

「私は彼女の誕生日覚えていたのに、何で私の誕生日覚えていてくれなかったの!」という思考が浮かんだけど、それを彼女にぶつけることはせず飲み込んで、その飲み込んだ言葉のカケラが私の限界まで張り詰めていた心の糸をサラッと傷付けだけのこと。

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その後数年はそうなったのを彼女のせいにしていたけど、違うことに気付いてしまった。

心の糸を限界まで張り詰めるように追い詰めたのは自分。

糸を緩めることを許さなかったのも自分。

全部私が認識して、決めたことだったんだよね。

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不登校から引きこもりに陥る直前の私へ。

胸が引き裂かれそうな苦しみの中で、その苦しみから逃げたくて死ぬことばかり考えてたけど、実行さえしなければ全て正解だから。

苦しんだ全ての経験が必ずあなたの糧になるよ。

認知が歪んでたっていいし、ちゃんと生きれなくていいよ。

人より生きるのが下手だけど大丈夫、あなたは苦しみきって次のステージに進んでいくから、どうぞ今は死ぬほどもがいてください。

生きづらさ応援の活動をしています。