言葉も時に同じ言葉を発してもそこにエネルギーや感情がのり、また受けとる側の感性によりどう受けとるかはその人で違う。だから同じ言語を話しているようでもあれ?ってなること多い。お互い???宇宙人と話している感覚だろうか?笑。時に非言語が楽。
父の日だけど、 子どもたちからは何も言ってもらえず、 次男からは、死ね!と言われ、 奥さんも、話しかけると うざったそうに空返事。 ご馳走もなく、昨日の残り物。 まあ、大量にいろんなご馳走、昨日の残ってたから仕方ないんだけど。 一家団欒の食事にはほど遠いから 睡眠薬飲んで寝る。
ことほど左様に、外国語の発音は難しい。 米国内時計店で 私:ハミルトンの時計 店員:? 私:ハミルトン 店員:? (繰り返すこと5−6回) 我々が日常で使う ハム、ハミルトン の「ア」つまり『A」は全く別物の発音であり、彼らには通じないことが分かったという話
食べた事ないと言ってはったから、ノーマルおかいさん(茶粥)とおいもさん🍠入のおかいさんをコトコト。って、おかいさんが通じひん(笑)ほうじ茶煮出して、生米入れコトコト。
最近思う。どんなに手を尽くした言葉を書いたり、発したつもりでも、受け取り側全員分かることなんてない。通じなくて当たり前と思おう。なんで通じないかな、って思うのは疲れるしシンドイ。通じないのが当たり前と覚悟しよう
集中できない。後ろのソファに母がいる。ぼんやりと座っている。「空間の確保が必要だね」昨日カウンセリングで言われた。この事だな。困った。言えない。でも本当に息苦しい。我慢できずテレビをつけた「ちょっと息苦しいわ」って言ったらクスッと笑ってた。伝わらなかったんやね。そりゃそうだw