時折、ひとは自分の死期を潜在的にわかっているのではないかと感じる。父が急逝し、私は農福連携の世界にはいったが、彼の晩年、ともに日本各地に足を運び、様々なご縁を頂戴していた。今ともに働いているのは、ほぼ父の仕事仲間、あるいはその延長である。あれからほぼ五年。今日も私は畑にでかける。