時間が過ぎ季節が変わることを感じると本当に何もせず生きているだけの自分に気づく。こんな何もできない自分はやっぱり生きる意味も価値もなにもない、生きているだけ色々なものを消費して迷惑なだけ、いない方が世のため自分のためだと強く思う。何の役割もない何もできない自分に生きる資格はない。
30代の大手会社員や公務員がコンビニで100円のガムを万引きして逮捕されたら、マスコミは大喜びで実名報道する。 自衛官候補生が銃乱射して自衛官2人を殺害し現行犯逮捕されても、マスコミは『18歳だから』と実名報道しない。 犯罪の軽重や事件の凶悪性を判断しないのか…「報道の自由」は?
Travotoreさんから、「(日経は)財務省の広報誌であることは昔からです」なるコメントあり。そのような側面がありましたが、本来の社会的役割からすれば、もっと、客観的な立場があると思います。
東京五輪に向けた様々な放送がありますが、選手を見ていると身長や体格をはじめ、その競技に適した選手が、適した役割で参加していることがわかります。 これはプロスポーツに限らず、一般社会も同じです。 社会でどの分野の仕事(役割)を担うのか? 健常者、障害者問わず適材適所が必要なのです。