「べきねば習慣」そろそろ見直さない?
時間の使い方、何から考える?
仕事のある日、お休みの日、違う?
今日一日で考えるとき、少し長めの(たとえば長期休暇とか)とき、年単位で考えるとき、どう違う?
子どもの頃によく言われるのは、
やること先にやりなさい!だよね(笑)
宿題やってから遊びなさい、みたいなヤツ。
社会人になったあとも、やっぱりやるべきことからやりましょう、って言われているから、多くの真面目な人は「べき」からやる。
それはもちろん大事。
(キャリアの観点でもmustを与えられること、そこに挑戦することには大いに意味があるから←けどこの話はまた改めて)
ただね、
…すべき、…せねば、だけで時間がいっぱいになってしまう人、それで日々が終わってしまう人、いつか〇〇って思っているけど今はまだ…と言い続けている人、
そろそろそれ、見直さない?
中でも
自分が社会から与えられていると思って(思い込んで)いる役割を基準に考えた「べき」とか「ねば」は、過大かもしれないよ。
数年前に大学生が就活の話をしていたときにこんな話をしていた。
・やってみたい職業があるけど、地元にはない
・それをするには家を出て都会に行かないといけない
・親に話したら「家にいて親孝行してちょうだい」と言われたのであきらめることにした
もう何をどう言えばいいのかわからなかった。でもこの学生はその親の言葉を恨むでもなく「育ててもらったので親孝行しなくちゃいけないと思う」と言っていた。えっと、親孝行ってそういうものなんだっけ?
別の場所でも、40代後半くらいの方たちがご自分の未来を描くなかで、今与えられている(と思い込んでいる)役割をまっとうすることを優先して語っていて、それ以外の「ご自分が描いてみたいこと」(楽しみとかワクワクすることとか好奇心とか)についての表現は、とても少ないことが多い。
興味があることを話していた人に「それはやってみては?」と聞くと次の瞬間に「でも私には無理だと思う」という言葉が出たりする(能力的に自信が持てない、もあるけど、時間的にも「べき」「ねば」を優先するから余力がないと考えているのだろう)。
人としてとても責任感が強かったり、優しかったり、思いやりがあったりするんだけど、その優しさや思いやりは、もっと自分に向けていいと思うよ。
もちろんそうしないのはいろいろな理由や背景があって、そう単純には言えないことはわかっている。でも、やっぱりそうしてほしい。
もしも与えられた社会的役割だけを「そうすべき」って思って生きていたら、それを失うことが恐怖になる。
でもね、背負ってきた役割はそのうち終わる(企業の偉い人とか、校長先生とか、いい母親とか、頼れる父親とか、親孝行な息子娘とか、いろいろ)。求められないとやりたいことがない、って人にとっては、与えられない人生は恐怖だよ。
だからね、
求められている(かもしれない)ことを過度に引き受けすぎないで、自分の時間(人生)を期待に応えることやすべきことを果たすことで埋め尽くさないでほしい。あなたはやればやるほどに「期待にもっと応えなくては」ってなっちゃう。キリがないし、周りも気が付かないで与えてくるから。
なので、
「べきねば」を放置して、目をつぶって、好奇心の扉を叩いてやってみる、感じてみる練習を今すぐ始めよう。
60歳を過ぎて改めて「まだ人生なげーな」と思っている私より(笑)
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