見出し画像

『何者でもない自分』になったら…

以前から繰り返し記載している通り、
私は「うつ病」で休職中です。
(実際はそんなに単純なものではなく、あらゆる精神疾患を併発してるけれど、「うつ病」というものにまとめられているような感じです。)
そして、今年の夏で休職して丸2年。
休職が許される期間は3年間のため、それまでに復帰が不可能であれば、退職。残された期間は、あと1年とわずか。
それが過ぎれば「退職」、つまり、「無職」です。
退職は、主治医の見立てとしても、自分で自分を見ても、ほぼ確定、99,9%というやつです。(ふざけている場合ではないんだが…。)

何者でもない自分って、 生きる意味あるの?

今はまだ、ギリギリ「所属」と言える場所があります。
「〇〇に勤務していたけれど、いまは休職中です。」という、
なんともすがるような言い訳ができます。
だけど、このギリギリ利用させていただいている自分の所属から追い出されてしまったら…(表現がよろしくない。退職せざるを得ない、それが規則なのです。)
自分は「何者でもなくなる」のです。つまり、「役割」がない。
「所属」がなくなります。
こんなことは、これまでの人生ではじめてです。

これまでの学生時代も不登校であったり、学校を休みがちであったことはありました。
けれど、必ず、どこかに「所属」していました。
〇〇学校、何年生、など。
そして、所属があるということは、一応仲間などがいて(一応は失礼でしょ。)、先生方も含め、
自分のことを気にかけてくださる方がいました。
安否確認、健康状態など、色々と「自分の存在」や、現状を知ろうとしてくれている人がいました。

自分は、もちろん、世の中の全てを知っているわけではありません。
わからないこと、想像に及ばないことがたくさんあると思いますが、
病気や障がいなど、さまざまな理由で所属先がなく、
生きてこられた方も多くいらっしゃるのではないかと思います。

所属があることが当たり前で生きてきた自分

今の自分にはそんな機会もないけれど、
何かの集まりなどで「自己紹介」となると、
おおかた、「お勤めは」「どのようなお仕事を」といった話題になるのは
想像がつきます。
すると、一年後以降の私は「名前以外何もない」、つまり
何者でもない』人間になってしまいます…。

そして、前述の通り、所属がないということは
仲間、コミュニティを失うことをも意味します。

この、仲間が厄介で仕方ない、という方もたくさんいらっしゃると思います。以前自分が勤務していた時も、「なんと煩わしい」と思ったことか。

しかし、失う未来が見えてくると、
煩わしかったのは事実だけど、イチオウ「仲間」と言える人々がいて、
何かあれば気にかけてくれる人もいた、たわいもない話をできる人がいた、
ちょっとしたことをすぐに話せる人がいた、
そして、同じ組織で同じ目標に向かって身を削って努力し合い、励まし合える仲間がいた、自分もその一員でいられた、というのは
なんとありがたいことだったのだろう
と、ひしひしと思うのです。

休職している今も、退職しても、さして変わりはないのですが、
私にはいま「社会的役割」はありません。
そして、家庭においても、自分は未婚、子どももいない。
つまり「妻」や「母親」などという
「家庭的な役割」もないのです。
現実を考えると、そのような役割を担えるほどに、
心身の健康状態が回復していないのは事実です。自分でもわかります。
だから仕方ない。
だけど、やはりどこかさみしく、(とてもさみしく。)
こんな自分でも、「世のため」なんて大きなことを掲げなくとも
何かのために、自分ができることはないだろうか、
などと考えてしまうのです。

引きこもっていながらも、
本能なのか、人と関わることを求め、何かの役にたちたい、
こんな自分にでもできることをしたい。
と心の中では思っているのです。
その、自分に任せてもらえた役割こそが
自分が生きる意味、になったりするのかな、
なんて思ったりします。

所属のない「何者でもない自分」。
きっと、自分が一番その事実を受け入れたくないのかも知れません。
そんな自分は嫌だ、生きる価値がない。
そう思っているのだと思います。

前述の通り、こどもも大人も、人間皆に共通して、
あらゆる事情により、所属がなく、日々生活しておられる方がいらっしゃると思います。
自分も、仕事をしていた時はそのような方とお会いする機会も多くありました。みな、それぞれに事情、理由があり、そんな中でも懸命に生きておられるのです。そのような方たちに、それ以上のことを求める、という発想は、もちろん、心底ありませんでした。
苦しみやハンデを抱えながら生きているだけで本当に頑張っていらっしゃる、おつかれさまです。
と思っていました。

いまの自分が一番必要なことは

けれど、自分にはそのような言葉はかけてあげられないようです。
「何もできない自分に生きる価値はない」
もちろん、自分にも何かできることはないだろうか、と考えることも大切かもしれないけれど、
まず、自分がすべきことは
いまの、現実の、自分を受け入れること
なのかもしれません。
とても残念だけど、どうあがいても現実は変わらない。
もがけばもがくほど、良い方には進まないと思うから。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?