可能なるコモンウェルス〈82〉(終)
人民自身の中から発生してきた政治的諸活動と秩序の自発的機関として、相互に全く無関係に発生した、あらゆる地域的な評議会はしかし、種々雑多な人間集団の中で、それぞれ個別に評議会として作られることとなったその結果、多かれ少なかれそれぞれ偶然的であったその、互いの個別的な組織同士の近接関係が、やはりいかんせん一つの政治制度へと収斂されていった(※1)というようにアレントは指摘する。この収斂の過程において、ある意味「雑多な方法で運営されていた、個々個別の評議会」は、むしろある種の「洗